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創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか

87ワラシナ:2002/10/09(水) 23:32
no75 sunya さん こんばんわ。
*「一顕正会員の二十一年前(s56/1)のメモ」

0、色々な意義を持つ大変貴重な記録だと思いました。それを以下述べてみます。

1、私には七項目のどれもが、その問題意識が顕正会組織の欠点への気づきから来ていると思えて、表立っての批判にはなっていないものの一種の体制批判、組織批判の消極的表現とも読める事でした。

2、s56/1は自分が妙信講入講二年目のころ。その組織に少々おかしい点があるのは感じていましたが、黙って没入することしか考えていなかった。その頃の私の心境と比較してsunya さんの早熟ぶりを感じます。元々性格的にクールだから当然ともいえますが。

3、思想遍歴、心境遍歴という点でもっとも注目されるのは、このメモの4年前の役職降板に至るまでに高ぶって行った思想信条の意味するものでしょう。それが何かはまだ明らかにされていませんから、私はあれこれ想像せざるを得ないのです。あのs’52年4月「法廷闘争大勝利の報に接した」大半の講員が、妙信講の正しさ、佛勅ここに下るの重いで感激に震え、大確信に立った、、、という中にあって、どういうわけか一人sunyaさんだけは、その心の中では、かって熱かったものが急速に消えかかって行った瞬間だった、というのですからね。いくら天の邪鬼とはいえ驚かざるを得ません。何故なんだろう、と。

3−1、恐らく入信(s’40?)以来の独自の思索、理想、思い、期待などが或る一つのまとまった形を採って姿を顕わし始め一つのピークをなしたのがs’52年頃の心境だったのではないだろうか。恐らく、それが、もはやこの組織では無理だ、と打ち砕かれた思いを味わったからではないだろうか、、、と、役職降板に至った心境を想像しているのです。

3−2、何故というに、普通入ったばかりの大半の講員の心理には共通のものがあり、個々人はそれぞれが浅井先生に対して勝手な期待を抱いてしまって「今度こそはこの講に対する自分のひそやかな願い理想をかなえてくれるに違いない、違いない、今度こそ、会体質の不合理面に善処してくださるに違いない、今度こそ、今日こそはその発表があるに違いない、、、。」と思って、毎回毎回の総幹部会に登壇される浅井講頭指導を拝聴するのが常でしたからね。またお話ぶりから拝される御人格にはいかにもそういう甘い期待を抱かせるようなものが感じられましたから。ところが何年待てども待てども、一講員の抱く理想像に近づけようとする気配が感じられない、逆に講の現実はその自分の理想から遠ざかって行く一方、、とその頃からお感じになられたのではあるまいか、と想像しているのです。(外れていたらご容赦願います。)

4、だけど、当時は周囲で組織信仰を疑うような人は微塵もいないような環境だった筈。その言論抑圧的な雰囲気の中にあって体制批判的思考を書き残す事自体、背信行為をあえてするときのような恐れおののきを伴うものであったろう事は容易に察せられました。でしたがこの作業は決して徒労とはならなかったと考えます。理想的な教団教学構築への前向きな土台となる思索がこのメモあたりから始まったのだろうと思うからです。

5、このメモ項目を見ると大半に「動詞、述語」が入っている。ここにも頭がしっかりしてらっしゃる事、早熟な事、思索が堅実なことが分かります。思想は名詞と述語で決まります。私のメモなんか「名詞の羅列」で終わって適切な動詞を探し損ねて思想として完結してないメモが多いのと比較してそう思います。

6、最後に、話題は飛びますが、このように自分の考えたことをメモに残しておく習慣は、常時ものを考えながら生きている人には特に大事な作業のようです。


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