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法華経について
10
:
一字三礼
:2002/08/31(土) 21:55
>で、大切なのは、やはり感性でとらえることだと思っています。
創○学会や○華講でよく見かける、没個性的で少し歪んだ日蓮主義者に対しては、このような視点から法華経をとらえ直す必要もあるのかもしれません。
しかし、法華経で繰り返し主張されている事は、法華経自身に対する信心・崇拝と殉教精神であろうと思います。
そして、ほんの少しでも実際にこれを行なおうとするとかなり厳しい教えです。
修行という言葉があります。
剣術修行とは、一心に打ち込んで、長年かかって体得出来るか、出来ないかの技と境地を、それこそ命懸けで目指す事を言います。
仏道もまた、蓮祖聖人の御一生を読むかぎり、命懸けの修行と呼ぶに相応しい壮絶な厳しさを持ち合わせるものではないでしょうか。
この間、テレビで中東の事をやっていました。中途半端に見たので、なんの番組か解からなかったのですが。
そこに1人のムスリムが出ていました。その彼は、日本人撮影スタッフ達と少し言葉を交わしていたようですが、突然、メッカの方向を向いて礼拝を始めたのです。
それを見ていた日本人スタッフ達は驚きながらも、その姿をカメラに収めました。
沈む夕日と低い山々、無限に広がる荒涼とした砂漠の中で、無心に礼拝を繰り返す1人の老人が映し出されていました。
その映像を見ながら、私は蓮祖聖人も厳しい修行、純粋無染の信心による絶対的な孤独の中で、法華経を通して、ただひとりで、雖近而不見の仏と向かい合い、深い法悦を得られたのではないか、と想像しました。
そしてそれは宗教の別にかかわらず、本来の信仰者とはこういうものではないのか、と考えさせられました。
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