したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日蓮聖人の本尊観

50川蝉:2002/08/01(木) 15:22
40 : 犀角独歩 さんへ。

>聖人の本尊観とは、やや論点がずれますが、釈尊の久遠成道につ
>いて、釈尊は無仏の時に諸法実相・法?を元にして成道したのだ
>というの、ここのところの展開になっています。
>私はこのような展開は法華経の教説と著しく相違するものだと感
>じます。
>そもそも久遠成道を証すのは寿量品なのであって、方便品諸法実
>相によって成道したというのは教説に相違しています。

久遠成道にしろ始成成仏にしろ実相を証悟しない仏なんてありませんね。
先仏の教を受けて覚ろうが、先仏の教えを受けないで覚ろうが、実相を証悟しない仏はあり得ませんね。

>殊に諸法実相による成道?が無仏の時というのは方便品の記述に
>添いません。

だれが、方便品に於いて、先仏の教えを受けないで実相を覚って仏になったと述べているなどと言いましたか。

方便品だけではなく、天台大師も「法華文句巻第一上」に
「久遠に菩薩の道を行ぜし時、先仏の法華経を宣揚したまいし」
とありますから、久成釈尊も先仏の教えを受けて菩薩道を行じ成道したと説明しています。
そして他仏とその分身の有ることを述べています。

宗祖の久遠本仏観と大きな違いのあるところです。
宗祖は無始久遠仏とし、三世十方の諸仏を無始の釈尊の分身であるとし、諸仏を久成釈尊一仏に統一しています。

「法華経の方便品に云く「我始坐道場」等を、一言に大虚妄なりとやぶるもん(文)なり。此過去常顕るゝ時諸仏皆釈尊の分身なり。」(開目抄)

「教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月万水に浮ぶとは是なり」(法華取要抄)
と有りますね。
ですから、久成釈尊と別存在の先仏を仮定していないのでは。

道理上、久成釈尊は実相を師として証悟した(実相を自ら覚った)と言うことになりますね。「我本業菩薩道」については、難しい議論がなされていますが、それは差し置いて、単純に、実相を覚る過程を「我本業菩薩道」と言っているのだと、一応解釈しておきましょう。

>第一、諸法実相は成道の本因ではないはずです。本因は、あくま
>で寿量品に入って初めて説かれる「我本業菩薩道」以外にあり得
>ません。方便品と整合性を考えれば、この菩薩道は無数の仏に従
>った菩薩道でなければならないはずです。成道の本因をこのよう
>に法華経全体の記述とも矛盾していません。

と言うと、犀角独歩さんは、天台大師と同じく久成釈尊も他仏たる先仏の教えをうけて実相を証悟したと言う考えのようですね。

諸仏を久成釈尊一仏に統一していると見る宗祖の久成釈尊観を
「これは大日経第三の「我一切本初」ということの対抗意識から、何が何でも釈尊を最初仏に据えたい恣意的解釈としか見えません」と見るのですか。

>最初仏・根本仏に仕立てるのに「諸法実相」を持ち出すことは、
>甚だ不可ではないでしょうか。

反対に、別仏たる先仏をたてないで、実相証得を持ち出すことの方が、最初仏・根本仏に仕立てるのに、極めて必要な事と言えましょう。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板