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日蓮聖人の本尊観

5管理者:2002/07/30(火) 19:39

66 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/07/18(木) 11:31


モモさん:

> 大石寺を離れたいとは思いません

私は皆さんに石山から離れることを勧めているのではありません。
石山僧俗が聖人の祖意に戻るための努力をすることを勧めているだけです。
石山は目師が丹精された700年来の寺院です。その尊さを思われるのであれば、「世間の物笑いにある今の状況」からの脱却にこそ、精進すべきであると思うのです。

戒壇の本尊はたしかに他に類例を見ない荘厳さで、拝するものをして圧倒して止みません。板に刻まれた曼荼羅の最高傑作と言っても過言ではないでしょう。
御開扉が心を洗われることも、事実でしょう。その他法要の古式豊かな様もまた、心を洗ってくれる演出になっています。そこに感動を覚え、意義を感じ、信仰を見ることは否定のしようもないことであろうと思います。

ただ、そのような儀式、洗心だけで、満足するのではなくて、そこに感動を覚えたならば、その感動をもって社会に帰り、菩薩の道に歩んでください。

石山では供養といい、布施といいませんね。石山には布施がないのです。
布施のその原意を考えると、それは布(し)き施すということです。つまり、金品を仏菩薩・僧に供養することを意味するのではなく、菩薩が、自ら積んだ功徳を自分のためにではなく、他のために使い施すことを意味するものでした。

布施行の恢復こそ、石山の急用の課題であると存じます。それはしかし、石山一宗が、というより、たった独りの僧俗の実践から始まるのではありませんか。その実践をする人が石山の正当性を、身をもって社会に問う尊い独りなのであろうと思います。ここには僧俗の違いなどありません。その布施の実践をなす人が菩薩なのであろうと思うのです。

まことにこの人こそ、神力品に説かれる地涌菩薩の流類なのでしょう。

  日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く
  斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し
  無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん
  是の故に智あらん者 此の功徳の利を聞いて
  我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし
  是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん


この人は、たとえ石山に籍を置くものであろうと、社会心理学その他の分析する権威主義的パーソナリティを脱却していくはずですし、科学の厳しい考証にも耐える仏教感を確立していくことでしょう。


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