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日蓮聖人の本尊観

44川蝉:2002/08/01(木) 13:39
37 ・38 : 犀角独歩 さんへ。

「法華玄義巻第二上」に
「境妙なるを以ての故に、智も亦随って妙なり。・・函蓋相称い、境智不可思議なり。故に智妙と称す。」
とあります。

「法華文句巻第八下・釈見宝塔品」に
「境智既に会すれば、則ち大報円満す」
とあります。
文の意を、達意的に云えば、境妙と合致し成仏した、境妙を証悟したのが智妙と言い得ましょう。
そこで私は
「こうした境智の関係を、境智一如とか不二とか表現するわけです。境智冥合したのが仏智ですね。境妙をそのまま覚知したと云う関係ですね。この点では、境妙=智妙(仏智)といっても良いのでしょうね。」
と表現したのです。
この表現がおかしいと思われるなら、これまた考え方の違いですから仕方有りませんね。

「木絵二像開眼之事」に
「仏の御意あらわれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる」(469頁・真蹟曾存)
とあります。

「四條金吾殿御返事」に
「其中法華経は釈迦如来の書顕して、此御音を文字と成給ふ。仏の御心はこの文字に備れり。たとへば種子と苗と、草と稲とはかはれども心はたがはず、釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一也。然ば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。」(1122頁・興師写本)
とあります。

「祈祷抄」
「而りといへども御悟をば法華経と説きをかせ給へば、此の経の文字即ち釈迦如来の御魂なり。一一の文字は仏の御魂なれば」
(1346頁・真蹟曾存)

「観心本尊抄」に
「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於いては」
とあります。(釈尊の真の仏智が妙法五字と云うことを意味している文ですね。)
以上の諸文からも、法華経・南無妙法蓮華経の五字は釈尊の心(妙智)を顕すと云えますね。

ここから、妙法五字と仏智は同じと云う事になり、さらに、仏の裏は法、法の裏は仏と云う言葉や法仏不二とか云う言葉が出てくるのです。
この概念があって、始めて法本尊論的表現の文と人本尊論的表現の文との会通が出来るのですから、本尊論上、大事な概念だと思います。これを短絡だと思われるのであれば、これまた考え方の違いで仕方有りませんね。

>仏の妙智、つまり知恵が仏というのもなんだかわかりませんが、
>それとは別にまた教法が法で法仏不二というのは、意味がわかり
>ません。

「但心なければ三十二相を具すれども必ず仏にはあらず」(木絵二像開眼之事・468頁)
ともありますね。仏の仏たるゆえんは妙智(もちろん大慈悲を有する仏智)と云えましょう。ですから妙智(仏智)=仏と言い得ましょう。これも、そう思われないと云うので有れば、考えの違いで仕方有りませんね。(続く)


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