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日蓮聖人の本尊観
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:
犀角独歩
:2002/07/30(火) 21:37
○日蓮宗教学、日蓮宗的ということについて
少し自省も含めて整理します。
私は「日蓮宗の」という表現を使用しましたが、これは実に不適切でした。
そもそも日蓮宗とは明治9年(1876)に始めて公称されたものであり、それ以前に、この名前はありませんでした。
また、現在で言えば、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺など、興門派のなかでも日蓮宗を呼称する寺院はあるわけです。
大石寺の場合、その教学とは寛師の整理大成をもって大石寺教学ということができます。では、今で言う日蓮宗に全体を統一する日蓮宗教学というものがあるかと言えば、そうは言い難いわけです、上述の寺院を見てもわかるとおり、日蓮本仏論の要所であった寺院すら日蓮宗というわけですから。
たしかに明治の始めの輝師、戦前の田中智学師は大きな存在ではありますが、では、この2人の教学をして日蓮宗教学と言うかと言えば、そうとも言えません。私は日蓮宗教学などと評するべき、確定した教学は存在しないと思っています。また、これは日蓮宗各派の方々にとっても、なんら批判ではなく、実情をそのまま示したものであると理解されるところであろうかと思います。
その延長から言えば、「日蓮宗的」という表現も、曖昧模糊とした感を否めないと思うのです。
以上のことから、日蓮宗教学、あるいは日蓮宗的という表現を私は使わないことにします。
いちおう、このスレッドにいちばん関係していると思えますので、こちらに投稿させていただきました。
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