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日蓮聖人の本尊観

30管理者:2002/07/30(火) 20:26

96 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/07/30(火) 18:45


川蝉さん:

ご紹介有り難うございました。

> これは考え方の違いですね。

考えの違いは全くその通りです。
ここは当初より「聖人の祖意を考える」ことを大きなテーマとしてやってきたわけです。ですから、七百年来、糊塗された化粧の面を読みたいという意図ではありません。ただし、日蓮宗では、どう読んでいるのか、一瞥するのは無意味ではないのは事実でしょう。

けれど、なにより諸法実相抄が偽書か否かということを明らかに見るほうが先決です。
ですから、真偽未決のものを恰も真筆のように語られる解釈には抵抗があるということです。

それは川蝉さんの考えとは全く違います。ご指摘のとおりです。

> 云わんとされていることがちょっと分かりません

ご理解いただく必要は全くありませんが、仮に諸法実相抄が前半が偽書、後半が真書であるということになれば、、それは要するに別の書、別の人によって書かれたものであるということを意味します。ですから、「前半で凡夫体本仏(偽)と書いてあるけれど、後半では凡夫を釈尊久遠弟子(真)と書いてあるから、諸法実相抄が凡夫本仏論の書とは言い難い」などという説明は成り立たないと記したのです。

つまり偽書部分では凡夫本仏で、後半真書部分では久遠釈尊という、全く別の書が一つのものと“誤解”されていることまず指摘されるべきであるという思いがあります。

ですから、一書全体を、聖人の真筆として解釈する上述の日蓮宗解釈では、この点が不明であるから初学を惑わす危険があると思いました。そして、偽書部分を日蓮宗的に解釈すると、途端に凡夫本仏という骨子が消え去ることになるのかという疑問もあるわけです。
まず解釈してしまう前に真偽を考えることが先決ではないのか、それが「聖人の祖意」を知る一歩であるという考えです。しかし、これは私の思いであって、もちろん川蝉さんとは、まったく関係のないことです。

けれど、石山義を「日蓮代聖人已来の伝統法義」と騙されてきた私たちにとっては、真跡に現れる思想で、偽書を真偽考証を告げないで解釈されてしまう危険度が意識しておきたいわけです。

また、日蓮宗の近代の解釈が直ちに日蓮の祖意をよく表すものであると短絡しないように努めたいと、私は思っています。知りたいのは、日蓮宗の時代時代で為されてきた先哲と言われる人の解釈ではなく、聖人の祖意、真実の御立法門であるということです。


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