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日蓮聖人の本尊観
211
:
犀角独歩
:2008/08/11(月) 17:45:59
『創価学会のまちがいをただす』P78に、森山諭氏は、以下のような説を書いています。
「此時地湧干界出現本門釈尊為脇士」
とある。日蓮の文章には、処どころに誤字やあて字があるから、彼はこの時も「……本門釈尊成脇士」と書くべきところを、成と為とを書き違えたのではなかったか。すなわち、「本門の釈尊を脇士と為す」ではなく、実は、「本門の釈尊の脇士と成る」と読ませるつもりであったろう。その証拠には、
「日蓮は釈迦仏の御使ぞかし、乃至教主釈尊の御使なれば云々」(種々御振舞御書縮遺1404頁、学会版919頁)
「日蓮は愚かなれども釈迦仏の御使法華経の行者なり」(一谷入道御書縮遺1182頁、学会版1330頁)
等々、その他にも日蓮は釈迦の使であると自負しているのであるから、大石寺門下が日蓮を本仏として、釈迦を迹仏とするようなことは、まったく本末転倒の解釈であって、日蓮がもし現代に再誕したとすると、彼は烈火の如く憤って、正宗信者を叱責するであろう。
一つの説として転載しました。
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