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日蓮聖人の本尊観
194
:
そううそ
:2007/03/02(金) 20:02:28
こんばんは。
>犀角独歩さん
>そう簡単に納得できるものですか(笑)
ええ出来ません。(笑)
私は仏教の歴史や文献をほとんど知らないのですから、そう簡単に納得は出来そうにないだろう、、、との考えから、
皆さんのお考えを聞きました。
私は理解や議論参加できないと思いますが、新たな議論が読めるだけでも嬉しいです。
それにここで決着がつくのであれば、2002/07/30(火) 19:07からのスレッドなんですから
とうの昔に決着がついていると思います。
これは以前にLibraさんと独歩さんの本尊の議論を呼んでますますそう思っていました。
(皆さんの結論だけを聞く形になってしまい、皆さんにはご不快でしょうか?
もしご不快であれば申し訳ないです。)
>しかし、儀軌は法華経典を本尊というのです。題目と経典は違います。
そうでしょうか?
(法華儀軌の事はさっぱり分からないのですが、)日蓮は題目=経典なのではないでしょうか?
元々、法華経という”経典”の題名から”題目”が成立しているのでは?
本尊(=題目=法華経)は経典の一部を受持読誦ということではないでしょうか?
人が本尊なしで題目を唱える事、読む事は無意味ではないとの前提に立って、さらに本尊や経典があればベターなのでは?
日蓮は慈悲を理由?に信徒には題目だけでもいいよ、という許容ではないのでしょうか?
当然、僧侶などには法華経(その精神も含め)そのものの受持読誦が必須だったのではないでしょうか?
>>187
>日蓮は、経典より、題目の五字を優位に置いた
>経典を以て本尊としたから題目が本尊であるという論法は成り立たない
有り難うございます。
よく考えてみます。
蛇足ですが、「本尊は経典の一部を受持読誦」と書いていますが、
私は以前から「創価学会には言葉を省略する伝統みたいなものがある」と思っていました。
記事に書こうかと思ったくらいです。
余りにも下らない事に思えてアップするのを辞めてしまったのですが、再考するかな?
師弟不二とか南無三!(南無三宝)とか。。。
ふと思ったのですが、新たな言葉が出てくる事や省略される事は仏教の歴史上、問題になった事はあるのでしょうか?
これが議論されたスレッドはあるのでしょうか?>皆さん
>では、日蓮が上行だということはどうなるのかという問題が生じます。
>日蓮上行のわけですから、同一人物が両方いることになります。
>漫荼羅の図示と日蓮花押は別、図示した漫荼羅允可の意義を署名書き判で表した、
そういえば、学会員時代には 題目と上行菩薩で二人いるという疑問を持ち、
質問を学会員にした事がありましたが、例によって例のごとく答えが返ってくる事はありませんでした。
当時は題目=日蓮の生命=宇宙のリズム、宇宙の生命を信じていました。
日蓮花押は花押として理解していましたね。
そういえば本尊の花押が日興以降も全部日蓮花押なのは可笑しいですね。
このBBSのどこかで御書の真筆度を書いたエクセルの表がありました。
既にダウンロードはしたのですが、アドレス表記を自分のブログにしたいのでご記憶の方はいらっしゃいませんか?
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