[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
配偶者がカルトに入ったらどうしますか
68
:
犀角独歩
:2002/07/04(木) 21:34
つまけんさん:
> 宗教嫌い…
私は、つまけんさんの妻子を思われる気持ちは、まさに宗教そのものであると思います。ただし、宗教団体の論理ではないのでしょう。常々記しているのですが、宗教団体依存から卒業し、各人が自分の責任の許に宗教に目覚める時が、これからの時代であると思います。いわば、自分自身の宗教ですから、自分の等身大でよいわけですし、自分のためのオリジナルでもよいのでしょう。
特定の団体、特定の教義によらなければ地獄に堕ちるなどという虚(うつ)けた主張をする団体と個人の、そんな情けない発言こそが、地獄の相(すがた)を表すものであると笑い飛ばし、さて、聖人の祖意はいずこにと知り、そして、その祖意に固持しようなどと思わず、自分にとっての日蓮、自分にとっての宗教という個人の和が大きな仏教、あるいは宗教という総和になっていけばよいのだと思います。その中に「宗教は嫌い」という主張があっても何ら不思議はないと思います。
私は経験的に、宗教嫌いを自称する人の中にこそ、真の宗教というべきものを見てきました。
余談ですが、あの『折伏経典』、いまでは間違いなく発禁になるでしょう。まったくひどい内容ですね。しかし、言葉の表現を以下に変え、抑えようと、その根底に渦巻く他者蔑視を超克できたかと言えば、それは現在の学会員一人ひとりの言動、殊に石山やら、顕正会に対する発言を見ればわかるのでしょう。これはまた、顕正会とて同様です。石山も同様ですね。
世間一般はみんな同じと思っています。信者は「わかっていないからだ」と、こう操作されていますが、わかっていないのはメンバーのほうであるという恥ずかしさから、私は、ここに書いてきました。
各人が団体のために弁明する必要もないし、代わりに戦争する必要もないわけです。
道具にされない賢明な個人となっていくべきなのでしょう。
もちろん、功徳を得た、感激があった、生き甲斐を見いだせた、そんな実感があるから、信者は組織に依存するのでしょう。でも、よくよく詮じ詰めていけば、その利益を与えてくれたのは、実は組織ではなく、日蓮その人であり、そのお曼荼羅であり、その教義であったはずです。そして、お題目を唱えるという個人の努力であったのでしょう。
それなのに、教祖、ひいては仏教が与えてくれた利益を、「組織による」とすり替え、個人が唱えたお題目の功徳を「組織による」とすり替える仕組み、これが第三者心理操作ですね。
この心理的プログラムを見極められるとき、はじめて組織を介さない日蓮への思いが生じるのですよね。いわば直接、日蓮と会話することができるようになるのでしょう。
熱中しているメンバーに、この仕組みを理解させることは難しいかも知れません。でも、それを理解させてあげられるのは、慈悲の意味を探求し続ける、もっとも身近な一人の努力に負うしかないのですが、実は脱却以後の長い、ほんとに長い戦いがあることを十分に承知しなければならないのも事実ですね。
脱却は、ほんの入り口に過ぎないわけです。
いずれにしても、脱却も脱却後も、仕組みを充分に理解する“技術者”でなければ、正確な誘導はできないものです。たしかな誘導者になれる知識と技術の習得が必要なです。ご健闘をお祈りいたします。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板