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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

60アネモネ:2002/07/04(木) 09:29
五月雨さん

はじめまして。レスありがとうごさいます。五月雨さんは関西の方なんですね。私も、関西出身なんですよ。もう関東に来て十数年になるので、私の関西弁はすっかり怪しげな感じになってしまいました。けど、やっぱりお友達としゃべるときは、関西弁がいいです。感情をこめやすいですし。緊張の糸も緩んでホッとします。

私も、お寺にほとんど行かなくなって、平穏な日々を送っています。家庭訪問やお電話も、そんなにしつこくしょっちゅうあるわけではないんですよ。時間をかけてお話しした方は、繰り返しおみえにはならないようですし。相手の方も立場上「地獄に落ちるよ」で締めくくるしかないんでしょうね。いやがらせのようなことは全然ないです。
突然の家庭訪問っていやだなぁと思うのですが、ときにはたまった新聞とメモ書きのお手紙の入った袋を持ってきてくれて、チャイムも押さずそっとドアに袋をにかけて帰られるような方もいます。メモにはお説教めいたことなどは何もなく、「お寺に行ったら新聞がたまってらしたようなので。お体を大切に」と一言。こういう家庭訪問はなんとなく心にとまります。だけどそんなに親しくもしていない方から、「ご本尊様を拝させてほしいから伺いたい」ってお電話がかかるのは権限を振りかざされたようでいやなものです。

私の場合、入信して八年ほどですが、もともと仕事の関係でお休みや自由な時間がとれるのが非常に不規則なんですね。御講や月例登山にはなるべく参詣してましたが、その他はまばらでした。そんなこともあって、次第に仕事について何かとお寺で言われるようになりました。
「参詣や活動がままならないような仕事の人は福運がない人だ」とか。
「唱題・折伏に励んで福運をつければ、信心(お寺活動)ができる仕事に就ける」とか。
「私だったら法のために転職をする」とかね。
いまどき職業による偏見めいた言葉を聞くとは、思いもよりませんでした。
私が今思いつく職業だけでも、救急医療、新聞記者、ホテル業の責任者、警察官、政治家、秘書、タレント業、マネージャー業など、自分の自由がきかない職業というのはたくさんあります。社会に生きていれば誰もが、様々な仕事の恩恵にあずかっているもので、そうやって社会が成り立っていると思うんです。なのに、お寺に来れないような仕事ということでひと括りにして、価値判断してしまうんですね。
まぁ、ここに書いたことは私の印象でして、極端な例かもしれません。だけどそういう傾向性を孕んでいると思います。
そういうことにクヨクヨと心が惑わされないためには、お寺から距離を置くのが一番いいなと思いました。
お寺から離れてしまうと、30万登山も、日蓮正宗のことも、本当に何も聞こえてこないものです。社会の中での存在はまるで感じられないですね。それを「爪上の土」にたとえられるのかもしれませんが、う〜ん、なんか違うような気もします。
私も限りある自分の時間を大切にしながら、ゆっくりと無理なく信仰の実践を模索していこうと思ってます。やっぱり漠然とした言葉になりますが、なによりもまず自分の人生と向き合っていくことから始るんだろうなって思います。
だけど、私はふと思うんです。カルト化した組織に拠り所を求めていくのはよくないけど、一方で、超高齢化社会になっていく中を自分が生きていくんだろうなぁと思うと、限りなく擬似家族に近づけるようなコミュニティの場は必要になってくるだろうなぁと。家族のあり方とか、そこに求める価値観とかは昔とは随分変わってしまい、ある意味で「老いを生きる」のが精神的にとても大変な時代になっていくのかもしれないと想像します。望んでも仕方のないことですが、それでもどこかで布教やお布施の強要などを見直して、地域の健全なコミュニティを目指すような組織のある方に目を向けてほしいなと願ったりもします。

Challengerって表現、いいですね。自然体でいて、それがそのままChallengerな生き方になっているんですものね。私の目に焼きついて「able」の映画のシーンを思い返しても、とてもマッチします。彼らの心は老いることがないんじゃないかとさえ感じましたよ。これからもよろしくお願いします。


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