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配偶者がカルトに入ったらどうしますか
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犀角独歩
:2002/07/02(火) 13:35
障害者差別という側面から言えば、創価学会も顕正会も、その基本的な考えは大同小異ですね、残念ながら。
この点については「宿命について」のスレッドで、現役顕正会員の亀太郎さんと、さんざんやりました。つまけんさんは、半年ぐらい前からのロムということでしたが、お読みいただいているのでしょうか。
まあ、この議論は最後は「宿命」語の解釈でまったく噛み合わないまま終わった後味の悪いものでしたが、それより何より、差別の道具とされた仏教教義解釈が今も顕正会に流れていることを再確認させられて暗澹たる気持ちになったものです。
差別の説明原理になる仏教であれば、そんなものはそもそも害悪であって捨て去るしかありません。私は半世紀近く仏教との自負で生きてきましたが、敢えて、こう結論づけるしかありません。それでも、しかし、本来の仏教は「前世がどうだ」「未来がどうだ」などという無責任なことを言わず、身分・境遇・健不・体の具合の違いを論ずることなく、ともかく自分は自分であると自覚し、より善く生きることを教えたのが仏教であったと私は考えています。信じるものがどうであるとかなんとか、そんなことは枝葉末節なのであって、本来の仏教にはバクティ(誠信)といった絶対的信の強要なんかなかったわけです。
手を触れただけで死んでしまうようなか弱い虫も、誰にも負けない剛健な戦士も、なんら差別無く、共に今を生きる衆生であるというのがお釈迦様の考えであったと私は思っています。そういう本来の仏教の在り方に戻さなければ、間違いなく仏教は人々から見捨てられるでしょう。いや、既に見捨てられているのです。人を救うどころか相手にされなくなっているのでしょう。その中で無責任な現世利益を売り物にする熱狂性を持つ集団は、単に大きくなっていっているだけでしょう。しかし、大きくなることなど、何の意味もありませんね。
たとえ、どんな小さかろうと、たった1人のためにでも、誠意を尽くす役割をお釈迦様の教えが担えれば、それでよいでしょう。つまけんさんのように、五月雨さんのように。そのお心の中にしか、私は仏様が見えません。二十四文字の法華経は尊いと思うのです。
「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」
私は皆さんを敬います。軽々しく見たり、自分のほうが優れているなどと思いません。
なぜならば、その尊いお心こそ、菩薩の道そのものであり、いつしか必ず自他共に仏様となって行かれることでしょうから。
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