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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

44アネモネ:2002/07/02(火) 10:47
(つづき)
私のところにお電話や家庭訪問に来られる方の大半は、代々の法華講の方です。彼らに言わせると、どうやら成仏とは死んで再びこの信心をする家に生まれてくることらしいのです。そこに生まれた子供が「福子」と言われるのもその理屈からなのでしょう。言い換えれば代々の法華講とは、過去世で徳を積んで成仏した結果で今日に生まれたということにもなるでしょうか。その論調は、代々の法華講だけではなく、学会を脱会して入講した方々によっても支持されきています。顕正会もそういう意識が根底にあることでしょう。
代々その家が守り伝えてきたものには当然誇りがあるわけで、それを汚すつもりは毛頭ありません。また特に嫌気がさすほど、そのことを露骨に鼻にかけられたわけでもありません。だけどよくよく考えるならば、その誇りからくるなにげない優越意識が「選民思想」へと発展し、やがては「差別意識」をつくりだすエネルギーとなっていることにも気づくのです。まさしくそんなものこそお釈迦さんが否定されたはずの、カースト制度を支えるバラモン思想そのものではなかったのかと思います。
入信以来「そういう命」「そういう宿業」「そういう罪障」そんな言葉を耳にすること久しく、しかもそれは組織のトップが言っているから正しい、組織のみんなが言っているから尚正しい、体験で語られる如く正しい、だから自分もそれを言うことが正しくて、言わなければ間違ってしまうといった空気がお寺の中に満ちています。そして私はそんな集団心理からくる感覚のねじれや麻痺がほとほといやになりました。まさしく心理操作だと思います。私はそんなものはないと思ってきました。ところが、その感覚にいつしか私自身も馴染んでしまっているのではないかという兆しを感じ、いやになってしまいました。
本来、そのような感覚の麻痺やねじれからくる心の囚われを解放してくところに、宗教が示す教えの目的があったはずなのに、心を解放するどころか、一層がんじがらめに人々を苦しめてしまっている。頭のどこかではその不健全さに気がつきながらも、もしも本当に正しくて地獄に落ちてしまってはと恐れ、その不健全さにみんなで目をつぶって従っていこうと集団で流れていく。もとをたどっていくと、最初のなにげない優越感やステイタス感覚のはじまりが、カルトを支えている根底的な意識エネルギーなのだと思います。私に関して言えば、もとより日蓮聖人が好きで尊敬していただけに、「日蓮大聖人の正統な流れ」というフレーズを受けて、優越意識が自分の中にも芽生えていたかもしれないと思うようになりました。しかし一皮向けば、それこそ真の誇りではなく、ただの心の貧しさや卑しさに他ならなかったことに気が付きました。


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