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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

199アネモネ:2002/08/26(月) 00:21
いちりんさん

サイトのご紹介、ありがとうございます。
番組のほうは先週は旅行で見過ごしたのですが、今回は観れました。お寺の御講よりも全然勉強になりますね。なにより話が「我田引水」ではないので、聞いてて気持ちいいです。

早々にご紹介下さったこのサイト、なんと番組を愛する方が開いている、非公式のサイトなんですね。管理者の方がノートにメモしたものを、番組記録として掲載しておられて、これはすごいです。終末医療についてのテーマもありました。
村上公照さんと、板東性純さんのを読みました。
お二人ともキリスト教へのアプローチも深く、まずこのことに大変驚きました。
禅宗の方の言葉というのは、いちりんさんが時々書かれているように、確かに理屈ではなくて直観的ですね。だからこそ即座に相手を唸らせてしまうほどに、その言葉が生きているのだと思いました。
私が特にびっくりしたのは、板東性純さんが語られる鈴木大拙博士のイエスの話、

「カトリックの神父さんで修道士のトマス・マートンと言う人は『聖書の本当の深い意味を東洋人で見ていたのは鈴木大拙博士である。』と言われた。例えばイエスが十字架に掛かり復活される。それを3日後ではなく『即時である』と。十字架の所に復活がある。間髪を入れない。マートン神父は非常に当を得た解釈とされている。3日というのは神話的な数字である。十字架即復活でなくてはならぬ。」

この捉えかたは確かにすごいです。クリスチャンを即唸らせるものだと思いました。私も納得です。

私などは、もともとの性格が強いので、どちらかというと気持ちが高揚しやすい唱題よりも、心を鎮めるような静かな禅のほうが必要なのかもしれないなと思ったりもします。唱題で心が静まるようになれば、本当の唱題といえるのかもしれないですが。

もちろん坐禅は一度もしたことがないのですが、既に身近な日本の文化のなかに禅の精神が深く根付いたものがありますね。私の場合、禅に通じるものの経験としては、茶の湯かなと思います。小学生の頃と大学生の頃、お饅頭食べたさでお稽古に行っていました。

茶道のお手前は、一服のお茶を立てるひとつひとつ所作、襖の開け閉めから、畳の歩き方、お湯の注ぎ方、茶巾のたたみ方に至るまで、その全てが実はとても理にかなったものだといわれていますが、しかしその理にかなったお手前を頭で覚えて身につけるのではなく、ひとつひとつを体で覚えいくんですね。体が覚えないと、美しいお点前にはならず、それが一服のお茶の味をも変えてしまう。
その趣が、禅からきたものだということを知ったのは、茶道のお稽古をやめてからです。
すっかり今ではお点前も忘れてしまいましたが、今となっては続けられなかったのがすごく残念です。


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