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配偶者がカルトに入ったらどうしますか
191
:
アネモネ
:2002/08/11(日) 14:04
求道さん
こんにちは。よろしくお願いいたします。
>と思うところが未熟なのでは。偏狭な宗教者であればあるほどなら、当たり前の話
しですけれども。
恐らくいちりんさんは、偏狭な宗教者のことを意図して書かれているのだと思います。カルト信仰は社会的問題であり、ここの掲示板で常にテーマとなってきていることですから、そこは敢えて明記されていなくても読み取れるかと思います。
また、宗教とはそういう危険を持ち合わせたものであるという警鐘も発していらっしゃること、これまでのいちりんさんの様々なレスで十分に理解できますし、それはまたとても重要なことだと思います。
>一つの中心的信念を以て、統一的な意識から他を肯定している場
合ではなく、
ここでいう「統一的な意識」の意味がよくわからないのですが。
>何でも良いじゃないかと他を肯定するふるまいを偽善と言います。
「何でも良いじゃないか」を偽善とまで言うのは大袈裟で、適当とか、おざなりとか、いい加減とか、無関心とか、悪くとってもせいぜいそんなところのことだと思います。
そもそも鈴木大拙さんの言葉は、「何でも良いじゃないか」という真意の言葉なのでしょうか。私にはそうは感じませんでしたけど。
>精神が未熟とは、統一されていない状態です。だからこそ、個々の違いに悩みます。
精神が成熟するとは、統一された状態です。統一のもとにある個々は、その違いの
価値が活かされます。
ここでいう「精神が成熟するとは、統一された状態」という意味がよく読み取れません。個人の意識が全体に統一されるということを意味するのでしょうか。それが仏教の成仏や成道ということなのでしょうか。
もしもそうだとすると、そこではもはや個々の違いはなくなってしまい、個々の違いの価値は活かされるものではないと思いますし、これでは、単なる全体主義ではないかと思います。全体主義が精神の成熟を意味するものとは、私には思えないんですね。
なにか統一というと、画一化とか規格化されるように感じ、没個性をイメージしてしまいます。それでは、みんな金太郎飴みたいになってしまわないでしょうか。
私は日蓮聖人の、権力や権力に巣食う既存仏教に対する毅然とした批判精神や改革精神(仏教的には不適切な言葉かもしれません)は、ものすごく好きなんですね。だけど、その精神が今日までには概ね排他精神として捉えられて浸透し、そして社会からは独善的な印象を持たれているということを、とても残念に思うのです。
もちろん、それは聖人の言葉にも起因しているかもしれないことは否めないでしょう。
またそれは、そうした言葉となった時代背景やそれに対する聖人の心も考慮せず、ただその言葉だけを以って日蓮仏法としてきてしまったことにも因るところが大きいと思います。
だからこそ、そういう危険性というものもよく熟慮して心得ていかなければならないと思うのです。それとも私が、求道さんの言葉の真意を取り違えているでしょうか。
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