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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

185アネモネ:2002/08/10(土) 01:21
(つづき)

自分の心をみつめるという修行‥ここのところ自分のも含めて掲示板で体験発表を振り返ることが多かったのですが、どうもあの体験発表が信徒を勘違いさせてきているような気もします。
私はこんだけ信心やりましたと壇上で発表し、そのことで奇跡が起きたかのように語って、聴衆から大きな拍手を受ける。語るほうも、聞くほうも、明らかにここで、勘違いしていくところだなあと思います。

たとえばイエスは、「人の見ているところで善いことをしようと思うな」といったことを言ってます。そしてお釈迦さまは誰もいない菩提樹の下でひとり悟りを得られたわけで、修行や行いや信仰というのは、人の見ていないところで出来てほんとかなと思います。そして、それをひけらかしてしまっては、だいなしになってしまう。ひけらかすようでは、まったく修行になっていないということでしょうね。

>己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ

この教えは、現代人にとってもとても重要なことばだと感じました。
「殺さしめてはならぬ」はとても意味が深い気がします。
聖書では、たとえ殺さなくとも、少しでも相手を憎いと思ったならば、それはその人を殺したのと同じ罪であるといった教えがあったかと思います。

イエスの教える神の存在というのは、外側に神の存在がいると捉えるよりは、心の中のことと捉えるほうが、かえってその真意がわかる気がします。心の中で思ってしまう善くないこと、それは他の誰が知らなくても、神がご存知だ。つまり自分自身が知っていることなんだ。そのことで自分が苦しんでいくのだから、だから、善くないことを思ったときには、悔い改めなさい。そういう教えだったのではないかと、キリスト教から離れて何十年もたって、少し仏教に触れることで、改めてイエスの導こうとしたところも知ったような気もします。
それでも、イエスは「裁き」というある種の脅しの手法を使っています。脅しを使わずに人々を導いたブッダの心を、これから学んでいきたいなぁと思います。

(スレッドテーマとかなり離れ、また聖書の言葉の多くの引用は、あまり好ましくなかったかもしれません。ロムされている方で、気を悪くされている方もおられるかと思います。その点、お詫びいたしまして、お含み頂ければ幸いです。)


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