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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

182いちりん:2002/08/07(水) 11:02
「心を尽くして神を信ずること」と「隣人を愛すること」が、キリスト教の実践の本質ですよね。
そうして、「隣人を愛する」とは、《何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ》(「マタイによる福音書」第7章) ということになります。これが、キリスト教の「黄金律」(ザ・ゴールデン・ルール)と。

隣人との関わり方において、東洋は少し違いますね。
孔子は、《己れの欲せざるところ、他人にほどこすことなかれ》(『論語』顔淵2)と。

イエスは、自分がして欲しいと思うことを、他人にしなさい。
孔子は、自分がして欲しくないことは、他人にするな、と。

で、ブッダのことばを、もっとも古い経典である「ダンマ・パダ」あたりから、拾ってみますと。

「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」(50)

「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない」(65)

「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(129 )

「まず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう」(58 )

「他人に教えるとおりに、自分でも行なえ――。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に制し難い」(159)

こうみてきますと、ブッダは、他人をどうこうせよというのは、あんまりありませんね。
大切なことは、「ただ自分を観よ」「自分の心を浄めなさい」ということです。

他人が間違っている、あの人はおかしい、あれはけしからん……ということは、生きている日常には、数限りなくありますが、そんなことに煩わされるなと。ただ、自己を見つめよと。

そして、他人に教えることがあるとしたら、「まず自分をととのえてから、人にああせいこうせいと言いなさい」と。

さらに、こうしなくてはいけない、あれはしてはいけない、という戒律がありますが、それは命令ではなくて、基本は「己が身をひきくらべて」というところだと思います。

自分のこととしてとらえたとき、悪口を言われるのは嫌だ、だから人の悪口はやめよう。殴られるのは嫌だ、だから殴るのはやめようと。

まず、大切なことは、「自分の気持ちが分かること」。これ、簡単なようで、とっても難しいことです。そして、「他人の気持ちが分かること」。
なにかを信じて、それが正しいとして頑張って生きるというようなことよりも、大切なことだと。

自分の気持ちが分かると、人の気持ちも分かってくる。
人の気持ちが分かると、自分の気持ちも分かってくる。
そのあたりが、わかつてくると、人生はいろいろと、おもしろくなって生き生きとしてくるかなあと思います。


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