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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

176いちりん:2002/08/03(土) 12:44
わたしの親しい知り合いに、スリランカの僧侶がいます。
上座仏教というと戒律でがちがちの不自由な教えと思われるかもしれませんが、なかなか自由闊達な生き方をしています。いま、その方のお話を、少しずつまとめているのですが、誹謗との関連で、参考までに紹介します。

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わたしたちは、日常のなかで、つい怒ってしまいます。嘘をついたり嫉妬したり、気ままに行動して、他人に害を与えたり迷惑をかけたりします。

そのような悪いクセから離れる努力を、仏教では「戒」といいます。

それは、お釈迦さまが命令されたものではありません。信じて守りなさいというものでもありません。本人が望む道を行くための近道、方法を教えたものです。実践するもしないも、本人次第なのです。

わたしたちの上座部仏教には、膨大な「戒」があります。とてもそのとおりには守ることは困難です。お釈迦さまも、比丘たちが完全に守れるわけではないことは、よく知っていました。

「戒」を破ったからといって罰則があるわけではありません。

それは懺悔をすればよいのです。お釈迦さまは、罪を犯してしまった人を、叱ることはありませんでした。しかし、「自分が悪いことを認めないのだったら、どうしようもない」と言われました。

わたしたちは、朝晩、「いろいろ失敗して大変申し訳ございません」と、謝りながら生活するのです。もう懺悔ばかりです。今日も朝、一生懸命懺悔してきたのです。帰ってからもやります。お坊さんに出会ったら、わたしたちは「おはようございます」と言わないのです。お坊さん同士の挨拶というのは懺悔なのです。

「そんなに謝ってばかりだったら、そもそも間違いをしなければいいのではないか」と思われるでしょう。でも、いくら努力しても、どこかで失敗してしまうものです。

じつは「戒」とは、自分のダメさ加減に気がつくためでもあるのです。わたしたちは、戒律を守ろうとしますが、守れないとき、自分の心の弱さに気がつくのです。「戒」があることによって、わたしたちは、「自分は不完全で、どうしようもない」ということに気づくのです。

大切なことは、「自分自身は、いくら努力しても、そもそもだらしがない、ろくでもないのだ」ということを、とことん認めて生きるということです。

「そのままでいい」と思ってしまったら、どんどんと堕落していくものなのです。
自分の不完全さに気づいて、少しずつ一歩ずつでも、努力すればいいのです。
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戒を破ったから、あるいは誹謗したから、地獄に堕ちるとかいうことではなくて、大切なことは、そういう戒めをいつも念じつつ、それが守れない自分の愚かさ、弱さ、どうしようもなさによく気がつくこと。それによって、心を浄めていく道なのだというところ。そこなことを説いていました。


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