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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

166犀角独歩:2002/08/03(土) 09:24

○ショックから立ち直ること、…私的経験ですが


五月雨さんが法華経が釈尊の教えではなくショックであったといい、アネモネさんもそうであったと記されています。私は20代のときに神経障害を煩ったことをここで敢えて告白しました。実は私が精神的に追い詰められていった原因の一つに教学上の問題がありました。私の症状は、実は創価学会の52年度路線前に始まり、池田さんの辞任の頃にピークに達しました。池田さんの無謬正を信じ、さらに創価教学の無謬性を信じて、さらにそれが無謬の石山教学と合致するものであると思い込んでいた私にとって、創価学会と石山の教学上の不和、そして、それにより知れた池田さんが久遠の師・日蓮の生まれ変わりではないという、当時の私にとって、到底受け入れがたい結論に、煩悶とした二人の自分が心の中で葛藤していました。そして、ある日、ちょうど圧力を加え続けたガラスがそれまで何事もなかったように見えていたのに、一瞬に割れ崩れるように、私は発症しました。それは同時に、私の中の池田神話の瓦解を告げるものであったけれど、耐え難い苦痛を伴うものでした。当時の日記を読み直すと「生きながら地獄にいるようなものだ」と何度となく記されてあります。

この段階で私を救ったのは石山の無謬性を求めた信仰心でした。当時、御書全集を何度も何度も読み返し、富士宗学要集は、その時期だけでも3回は通読したものでした。朝晩寺院に通い詰め、御講、勉強会、その他法要の一切に欠かさず参詣する日が何年も続きました。

下種三宝への絶対の信、すなわち、戒壇の本尊を生身の日蓮聖人と仰ぎ、唯受一人血脈付法の猊下、その代理たる寺院住職を含めた僧宝の尊信の徹底を強固にしていくことによって病魔退散と生活向上を願ったのです。

法華講への入講は、昭和56年以降からの私の悲願でした。けれど、当時、宗門と創価学会は、和解が採れ、寺院・法華講は創価学会員を移講させてはならないという宗門からの厳しいお達しが出ていました。そんな事情もあって、私は何年も寺院に通っていましたが、その間、一度たりとも法華講員と言葉を交わすことも、挨拶を交わすこともありませんでした。一度、わからないことがあり、寺院の階段ですれ違った講員に声をかけると、汚らわしいものを見るような険しい顔をし「話しかけないでくれ!」とはき出すように言われたものでした。そんな意味で寺院への日々の参詣は屈辱的でもあったのですが、耐えることが信仰であるとも思っていたものでした。

それが、平成に入って起きた宗創戦争によって、学会の勧誘が許されるや、真っ先に声をかけてくれたのは、かつて在勤の僧侶でした。地方からわざわざ電話をくれたのです。私は急いで駆けつけました。「私の寺院で中心者になって、法華講を作ってもらいたい」、私は即座に快諾しました。喜びを所属寺院に伝えに行ったのです。しかし、ここで住職から「待った」がかかりました。「猊下から、脱会した学会員は、その地域の寺院に所属するよう指導が出ている」ということでした。「いや、それじゃ、私はあの御僧侶を裏切ることになります」「ワシが言っておくよ」という一言で、私は地元寺院に所属することになりました。それからのことは既に記したとおりです。

法華講は、私にとって夢にまで見た存在であったのです。数カ年を経て、「やめよう」と結論するしかなかったのです。日記に「山は遠くから眺めていれば美しい」と記したものでした。

夢にまで見た法華講と、石山僧の現実は、私が濫読してきた富要に記されてある僧宝ではなかったのです。この“ほつれ”を手繰っていくとき、そもそも石山教学とは何か、何より、法華経とは何か、自分の病は何であったのかを改めて考えてみたのです。そうして、徹底して再確認してきた結果を、実は、私は、ここ富士門流信徒の掲示板に記してきたのです。問答名人さんとのやり取りはまた、多くの示唆を与えてくださったものでした。


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