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配偶者がカルトに入ったらどうしますか

156犀角独歩:2002/08/02(金) 14:35

五月雨さん:

ショックについては、たぶん五月雨さんは充分に耐えられるようになっていくでしょう。組織矛盾を現実の窓を見つけられたから、そこをのぞき込む勇気も既に持っておられるから。

ショックで立ち直れなくなる人は窓があっても見ないようにするか、閉めてしまいます。

信仰という色眼鏡を外してみる、あの組織は何とまあ、魅力のないことか。しかし、ここの書き込みを見てわかるとおり、組織批判をする人でも、教義、本尊を捨て去っているわけではない、だから、付随的に組織も認めているという構図があると思うのです。

実はここのところは重要なのです。信仰は各人の自由ですから、極端なことを言えば、鰯の頭を信じたって周囲がとやかく言えないと言うのが法律です。(ちなみに金比羅さんのご神体はガンジス川のワニ?、お稲荷さんはキツネ)

けれど、五月雨さんがショックを超えて踏み込もうとしているところは、自分の存在、アイデンティティを支えてくれたそのものなのでしょう。

絶対の本尊、その継承者、その信徒としての自分の位置、永遠の生命、死後の約束、運不運を左右する方法などなど、それらを「違っているのではないのか」という視点で、再点検してしまおうという作業です。

ただし、法華講のお婆ちゃんの話を書かれていらしたけれど、このような方に、ここの再点検はさせないほうがよいと思います。変な言い方ですが、考えて答えを出すのに、心の柔軟度も、人生の残り時間も、あまりにも不足しているからです。

このような人たちには、「組織は人間のやることだから過ちがあるのも仕方がない。でも、お題目に間違いがあるわけではないから」と現状を肯定してあげることが必要であると思うのです。

「それは方便ではないのか?」という疑問も生じるわけですが、しかし、私はこの時点で真跡はないけれど、いつも心している御書の一節があります。

さて此の品(提婆品)に浄心信敬(しんきょう)の人のことを云ふに、一には三悪道に堕(だ)せず、二には十方の仏前に生ぜん、三には所生の処には常に此の経を聞かん、四には若し人天の中に生ぜば勝妙の楽を受けん、五には若し仏前に在らば蓮華より化生せんとなり。

この『女人成仏抄』にいう「浄心信敬」が組織・指導者にではなく、仏様と自分を直接つなぐ心の置き所となるとき、たしかな目標となると私は考えています。外に向かう菩薩道(慈悲)に対し、内に仏に向かう自利の要です。

同じく真跡はないものの『教機時国抄』に言われる

仏は金師に数息観を教へ、浣衣の者に不浄観を教へたまふ

というように、人にあった“提示”の仕方を考えることは大切なのであろうと思います。
人の心を動かすことは容易なことではないですね。まして忠言は耳に逆らいますし、強固な信念を持った人は「自分の影響力の中毒」になっていますから、考えに異論を述べられることに憎悪を懐くものです。

もちろん、五月雨さんは、以上のようなことは十分にご承知で、お考えの所とは思いますが、法華講のお婆ちゃんの書き込みで、少し思うところがありました。余計なことと思いながら、記させていただきました。


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