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配偶者がカルトに入ったらどうしますか
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:
五月雨
:2002/07/31(水) 09:08
独歩さん
学会・法華講についての分析はさすがですね。講中の問題の一番は横の繋がりが無い事です。異体同心といいながら、何故講員同士の諍いが絶えないのかよく分かりました。先日、講頭にばったり会った時に「講中の修羅の争いは大変ですね」と言ったら頷いていました。素直に頷いてどうするねんと心の中で苦笑いしてました。住職・役員・講員の三つ巴の諍いはいつまでもいつまでも果てしなく続くことでしょう。独歩さんが分析される通りです。石山・末寺・信徒の関係を見つめ直してみると、確かに私達は“奴隷”です。お金を運び、言われるままに労働力を提供して、私達は単なるお賄いだけしとけばいいのです。何を住職に言っても聞かない筈です。「お前らとは違うんだ」という住職の不遜な態度の意味がよく分かりました。
言われるままはもう止めて、講を見限るのが石山にはよく効く薬になるかもしれません。私の親しくしている78才のおばぁさんに石山の真実を話したら心臓マヒを起こすかもと思っていましたが、ここの独歩さんのレスをまずプリントして見せてあげます。独歩さんのお話は無駄が無く、本当に為になります。
>ところが五月雨さんや、私のように創価学会から出てきたものは、それを嫌いになって出てきたために、いわゆる生理的嫌悪感がついて回るわけです(五月雨さんのことをきめつけてはいけませんね)
いえいえ、確かにその通りです。学会員が戻っておいでとやってくるのですが、「何たわけた事言うてんねん、もうこりごりや絶対に戻らへんで」と言ってます。今は法華講にも生理的嫌悪感があります。結局組織の原点は同じなのかもしれません。
>独り歩むことは、しかし、実は孤独ではないのです。法の中で常に、日蓮と釈尊に向かい合っているからです
本当にそう感じます。文明の利器(言い方が古臭さ過ぎですね)のインターネットで、真実を知る事も出来るし、こちらの掲示板ではご親切にご教示頂けて、勉強も出来ます。何だか、講で活動第一とやってた時よりも、“法の中で常に、日蓮と釈尊に向かい合っている”気がします。
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