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世界の情報ボックス
17
:
いちりん
:2002/10/12(土) 17:32
ネットワーク地球村の高木さんのお話を聞いて、わたしなりに感じたこと。
まあ、たくさんありまして、たとえば──。
「争いはなぜおこるのか?」ということについて。
それは、「双方が愚かだと争いが起こる」と言われました。あったり前の話かもしれませんが、わたしなるほど、思いましたです。
どちらか一方に智恵があったら、争いは起きないわけです。いま、争いがあるとしたら、それは「どちらかが愚か」か「どちらも愚か」ということなんですね。
争いというのは、「売る人」と「買う人」がいるということもいえますよね。争いを仕掛けてきて、それを買うから、争いになるのであって、もしも買わなければ、争いにはならないかもしれない。
あるいは、争いの最中に、「もうやめようよ」と、どちらかが争いというゲームをやめてしまえば、争いはやむ、ともいえましょうか。
「だから、売られたケンカを買わないようにしましょう」ということになるわけです。
それから、争いが起きる原因の一つは、「正しい」という観念でしょうね。
「自分は正しい。あいつは間違っている」として、正しさを軸にして、争いが起きる。
「正しさ」というものを選ぶと、じつに「平和」が訪れないのかもしれないんですね。
「正しさ」を主張する、「正しさ」を訴えるのは、とても魅力的なのですが、しかしそこには、「平和と安らぎ」がないのかもしれません。
「正しさ」を選択するよりも「平和と安らぎ」を選択するという道があるのかも知れない。
「正しい」というのは、「自分の強烈な思いこみ」かもしれないんですね。「自分が正しいと思っている」だけ、なのかもしれないんです。
「正しさ」を選ぶよりも「安らぎ」を選ぶほうが賢いことかもしれないわけです。
なかなか日蓮仏法の世界にいると、いつもこの「正しい」ということが出てくるわけですが。まあ、日蓮正宗と創価学会、さらには顕正会などの、争いを見ていると、みんな「正しさ」を主張していて、相手を間違いだと決めつけて、そこには平和はないわけですね。
でもって、日蓮主義がひろまるほどに、争いが起きていくのかなあと、思ったりしますね。
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