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本尊と曼荼羅
236
:
犀角独歩
:2005/05/07(土) 13:02:09
> 234
そのとおりです。ですから、その点をわたしは考えを改めたと記したのです。
その理由は、先に縷々記したとおりですが、「其本尊為体」では、末法の本尊足り得ないからです。なぜならば、これは妙法蓮華経を地涌菩薩に付属した様の描写ですから、ここで示される釈尊は、久成を表明したところで、印度応誕の釈尊です。
五百塵点成道、そして、地涌菩薩を初めて発心させた時点の釈尊には‘弟子は、地涌以外にない’わけです。つまり、仏・久遠釈尊と弟子・地涌菩薩のみです。これを像に表せば、どうなるでしょうか。つまり、一尊四士以外に有り得ません。
つまり、その後、近成の弟子・衆生を安置する奉安では、久遠釈尊、初発心・地涌菩薩、また、末法の仏菩薩を表現できません。違いますでしょうか。わたしが考えを改めた理由はここにあります。
ですから、漫荼羅図のように仏像を作ることが出来ても、それは末法の用とはなり得ないということです。仏菩薩の様は唯、久遠釈尊と四菩薩に限ります。つまり一尊四士です。
ではしかし、漫荼羅は、その用となり得ないことが書いてあることになるのか、という疑問が生じますが、ここから、では、漫荼羅とは何かという問いがはじまるわけです。
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