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本尊と曼荼羅

142通りすがりの凡夫:2005/05/04(水) 22:25:24
>>127 犀角独歩さん

まず、本尊抄の「其の本尊の為体」という表現は、本尊の相を表すことを了解いただ
けますか。

次に、随身仏を本尊としたという文証はありますでしょうか。

随身仏が、本尊抄の本尊の相と異なるのはなぜだとお考えでしょうか。

以下の真蹟については、紙幅曼陀羅ととるのが自然だとおもいますが、どうお考えに
なられますか。
「又御本尊一ふくかきてまいらせ候」(是日尼御書)

私には、犀角独歩さんが曼陀羅≠本尊という前提から無理に論を起こしているように
感じられるのです。

> 中尊ということを蓮師が言っておりますか

「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」
因果の功徳は妙法蓮華経であり、骨髄であるといわれています。
「『其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至
亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり』等云云、
釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」
この法華経の文によれば、経法を護る事=仏供養であるとしております。

> 漫荼羅図では中央題目に比する大きさで左右に梵字をもって特筆される

文字の大きさで重要度が決まるとお考えであれば、不動、愛染が釈尊より文字が大き
くかつ梵字なので釈尊よりも重要であるということでしょうか。私はそうではなく、
虚空会の儀式を格護する善神の表現であると考えます。

> 法であるところを功徳と記されたことに対する質問です。

法であり、因果の功徳なのです。釈尊および三世十方の諸仏が因行のうえに証得した
諸仏所生の種子である妙法を功徳としています。


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