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本尊と曼荼羅

127犀角独歩:2005/05/04(水) 10:39:46

123 通りすがりの凡夫さん

>宝塔品虚空説法の様を描写している範囲

> それは多少無理があるのではないでしょうか。

いえ、蓮師は出現宝塔の中に妙法蓮華経ありと達観したと言うことを申し上げているわけで、法華経それ自体の説相を言っているわけではありません。

> 「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏」
> この箇所はいかがでしょうか。宝塔品から塔中の妙法蓮華経の存在は読めないと思います。

ええ、原文からは、もちろん、読めません。ですから、上述したとおり、宝塔中に妙法蓮華経ありとするのが蓮師の本尊抄でしょう。

> 蓮師の第一義に妙法蓮華経があるがゆえに中尊となるのだと考えます。

中尊ということを蓮師が言っておりますか。

> また、仏像として配置した場合を想像しますと、中央に妙法蓮華経、その左右に釈迦牟尼仏・多宝仏が配置されるわけで、釈迦仏のみを拝させる配置としては、いささか奇妙な配置といわざるを得ません。中央に配されたものが第一義であることは、動かないと思われます。

この点については、121に記しました。


> 不動愛染、天照八幡のこと、万民(九界の衆生)のうち

本尊抄の該当の文で万民とは「迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し」とあります。ところが漫荼羅図では中央題目に比する大きさで左右に梵字をもって特筆されるのが不動・愛染です。それを万民で括ることは「無理」があります。

>>「因果の功徳を附属」するとは、どういう意味でしょうか。
> …妙法蓮華経の五字が法華経附属の法体

そうですね。
功徳ではなく法です。
法であるところを功徳と記されたことに対する質問です。
法の説明を以て功徳の説明とされては問と答が一致しません。

> 法華経成立…現在の法華経経典だと考えます。

この点は異論はありますが、既に言い尽くしたことであり、本論とは直接関係ありませんので、応答は控えます。


> 仏自身を附属は不可という事に対して、法華経の意にそって無理ではない

どのように無理ではないのでしょうか。無理だと思います。
これではたとえば、「このお金をあなたにあげる」と差し出されたとき、その差し出した本人までもらっていいと言っているようなものです。そんな事は成り立ちません。

>> 蓮師の真跡中で本尊と題目を境智の二法に配立する法門があるのでしょうか。
> …本尊抄冒頭…

これは本尊・題目を境智に蓮師が配した説明になっていません。

> 観心本尊、すなわち事の不可思議境だろうと考えます。

これは、通りすがりの凡夫さんご自身のお考えであって、蓮師の考えではありません。また不可思議境を言った天台とも違っています。三千不可思議境は止観禅で観念観法される心中に観る法であって本尊ではありません。また、蓮師はそのようなことを本尊抄において書いておりません。さらにこれが本尊(境)題目(智)であると蓮師が言った証拠とはなりません。


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