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本尊と曼荼羅

123通りすがりの凡夫:2005/05/04(水) 10:10:20
>>118 犀角独歩さん

今日は時間がありませんので、多分次に書くのは明日になってしまいます。

>宝塔品虚空説法の様を描写している範囲

それは多少無理があるのではないでしょうか。「其の本尊の為体」とありますから、
本尊の相を示されたものでしょう。
「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏」
この箇所はいかがでしょうか。宝塔品から塔中の妙法蓮華経の存在は読めないと思い
ます。また、これをそのまま読むならば、中央に妙法蓮華経があり、その左右に釈迦
牟尼仏・多宝仏という配置であることは明らかです。蓮師の第一義に妙法蓮華経があ
るがゆえに中尊となるのだと考えます。
また、仏像として配置した場合を想像しますと、中央に妙法蓮華経、その左右に釈迦
牟尼仏・多宝仏が配置されるわけで、釈迦仏のみを拝させる配置としては、いささか
奇妙な配置といわざるを得ません。中央に配されたものが第一義であることは、動か
ないと思われます。
不動愛染、天照八幡のこと、万民(九界の衆生)のうちに入ると思います。

>「因果の功徳を附属」するとは、どういう意味でしょうか。

まず、妙法蓮華経の五字が法華経附属の法体であることは了解していただけると考え
ます。その上で法であり、釈尊および三世十方の諸仏の因果の功徳です。蓮師はすで
に以下の考えを示しておられます。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」
つぎに法華経ですが、すでに釈尊の因行果徳を諸仏の智慧としております。
「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の
知ること能わざる所なり。所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くし
て諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。甚深未曾有の法
を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。」
「無量億劫に於て 此の諸道を行じ已って 道場にして果を成ずることを得て 我已
に悉く知見す 是の如き大果報 種々の性相の義 我及び十方の仏 乃し能く是の事
を知しめせり」
このことをさらに説くために、過去仏、未来仏、現在仏の諸仏の義が同じであること
を示しているのが方便品であろうと思います。
過去仏「究竟して皆一切種智を得たり」
未来仏「究竟して皆一切種智を得べし」
現在仏「究竟して皆一切種智を得」
この諸仏所生の種子である一切種智とは、妙法五字であることは蓮師門下ならば動か
ないでしょう。

法華経成立は諸説ありとしても、釈尊滅後数百年さらに現在の形になるまでに数百年
程度かかっていますが、法華経迹門にその原始のプロットがあると思います。大通化
導然り、如来使然り、一切種智然りであります。その一つ一つのプロットをより具体
化させ、実事として表現したのが本門であり、現在の法華経経典だと考えます。

> これはわたしが書いたことを誤解していませんか。
いえ、犀角独歩さんの論が、仏自身を附属は不可という事に対して、法華経の意にそ
って無理ではないことを示したものです。

> 蓮師の真跡中で本尊と題目を境智の二法に配立する法門があるのでしょうか。

たしかに明示する真蹟はありません。
しかしながら、すでに、本尊抄は、以下の文を根拠に論を展開したものです。本尊抄
冒頭に曰く、
「摩訶止観第五に云く『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界
なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千一念の
心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議
境と為す意此に在り』等云云」
観心本尊、すなわち事の不可思議境だろうと考えます。


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