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本尊と曼荼羅
116
:
通りすがりの凡夫
:2005/05/04(水) 00:35:33
>>111
犀角独歩さん、はじめまして
> 漫荼羅が本尊であるなどということはまったく、人々は思いも寄らなかったこと
ゆえに未會有の曼陀羅とも考えられるわけですね。
観心本尊抄送状にはまさに次のようにかかれております。
「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか」
したがって、このことから本門の本尊ではないとはいえないと考えられます。むしろ
本尊抄を素直に拝せば、本尊の相が曼陀羅と一致することに意義を感じるのではない
でしょうか。
> 久遠釈尊=妙法蓮華経であるのであれば、釈尊は自分自身を附属してしまったことになる
これについては、先ほども少し書きましたが、私は少し違う考えを持っています。法
華経は、釈尊の悟った智慧、因果の功徳を附属した経典であると考えています。方便
品より始まる説法は、まさにそのことを説いております。智慧なるが故に、三世常住
の仏であるととらえることができます。蓮師は、成仏の根源の種子を妙法五字として
明確にされたわけです。この妙法五字は、単に釈尊の因果の功徳であるばかりでなく、
三世十方の諸仏の釈尊の因果の功徳でもあります。これも方便品に明らかだと考えま
す。ゆえに、「自分自身を附属」という論は無理があるように感じます。
本尊と題目を境智の二法と考えた場合でも、境智各別なのか、それとも境智不二なの
かと考える時、境智不二であろうと思うわけです。
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