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本尊と曼荼羅
108
:
愚鈍凡夫
:2005/05/03(火) 23:27:59
うわっ、レスがかなり進んでる。 (;^_^A アセアセ・・・
通りすがりの凡夫さん、どうもです。
>>94
:レス有り難うございます。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(観心本尊抄)
なるほど、「我等此の五字を受持すれば」の文から曼陀羅=御本尊との展開ですね。でも、この文は、釈尊が累積してきた功徳が法華経の題目に集約されていて、この題目を受持する事によってその功徳を体現することができるという意味ではないでしょうか。
観心本尊抄に、
「草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、」
「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」
とあります。この文は、逆に「色心の因果」「一念三千の仏種」を置くことによって木絵二像も本尊たり得ることを示唆しているのだと思います。
ただ、確かに、次の文は蓮祖漫荼羅をイメージさせます。
「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」
しかし、「観心本尊抄」を拝する限りにおいて、「漫荼羅」が「御本尊」であるとは一言も出てきません。もし、「漫荼羅」こそが「御本尊」であるなら、明確に仰ると思うのですがいかがでしょうか。
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