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本尊と曼荼羅

1管理者:2002/04/04(木) 07:30

いちりんさんより、スレッドテーマの御提案がありました。立ち上げます。幅広い議論が展開される事を期待致します。提案文は以下の通り。


30 名前: いちりん 投稿日: 2002/04/04(木) 02:20

本尊と曼荼羅って、とてもおもしろいテーマですよね。

こちらのスレッドは、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」ということですが、
できれば、「本尊と曼荼羅」というテーマで、論じていったらいいなあと思います。
管理人さん、いかがでしょうか。

真宗の本尊とか、密教の本尊とか、天台の本尊観とか、あるいは釈迦在世のときの本尊とか、いろいろとおもしろいと思います。たとえば、天台の四種三昧の修行などみますと、修行によって本尊が変わりますよね。

そういうところから、本門の本尊をとらえかえしていくと、本質的なものがみえてくるかなあと思ってもみたり。

2問答迷人:2002/04/04(木) 08:50

すでに、他スレッドで書きこんだ事ですが、参考のため、もう一度書きこみます。

日蓮聖人は、観心本尊抄では、『曼荼羅』という言葉を1箇所も使われていません。

また、真蹟御書(身延曾存)で、曼荼羅と本尊の関係、日蓮聖人と上行菩薩の関係等を記されていますので、以下に抜粋してみました。

新尼御前御返事 文永一二年二月一六日 五四歳 (平成版御書764頁)

今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累(ぞくるい)品に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利(もんじゅしり)、兜史多(とした)天宮の弥勒(みろく)菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏(にちがつじょうみょうとくぶつ)の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひヾ(響)けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ(譲)るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星(すいせい)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃(かんばつ)・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉(ききん)・大兵乱(ひょうらん)等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅(まんだら)を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほヾ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。

3独歩:2002/04/04(木) 10:12

あと、真蹟中で「本尊」語を曼荼羅の意味で使用された数少ない一節は以下のとおりです。

御本尊一ぷくかきてまいらせ候(是日尼御書・弘安元年4月12日)

これが釈尊の図像であったと読めないこともありませんが、やはり、無理があるように思われます。

万年救護曼荼羅の端書「大本尊」の認め、上行菩薩との対句とも考えられますが、しかし、曼荼羅一幅を指すと考えるほうが自然な気もします。

以上は例外的な記述なのか、あるいは聖人が曼荼羅=本尊と考えていたのか、あるいはLibraさんが仰るように「厳密に言えば曼荼羅は本尊を表現したものであって、本尊そのものではありえない…本尊はあくまでも教主釈尊…そのことを十分に意識した上でならば、曼荼羅を本尊と呼んでも問題ない」というのが至当かもしれません。

もちろん、あくまで原則は顕正居士さんが提示くださった Ryuei 師の如き、見解が一般的に通用のあるものでなのでしょうね。

富士門流が曼荼羅を直ちに本尊と言うのは、仏・本尊=釈尊=日蓮=曼荼羅という日蓮本仏義に基づくわけなのでしょう。もちろん正しいと言うわけではありませんが、曼荼羅を本尊と呼称する整合性はあるとは思います。

ところで他五門流でも曼荼羅を本尊と呼び習わすことはあるわけで、これはどのような見解に基づくのでしょうか。

4Libra:2002/04/05(金) 11:24

 本尊論に関連して、以下を、参考資料として引用させて頂きます。

  ──────────────────────────────────────
  大崎学報一○二号に山中喜八氏が報告するところによれば、聖人自から図顕した大曼
  荼羅として百二十余幅が今日に伝えられ、殊に保田妙本寺所蔵の文永十一年十二月図
  顕の大曼荼羅には「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖爾月漢日三ヶ国之間
  未有之大本尊 或知不弘之或不知之 我慈父以仏智隠留之為末代残之 後五百歳之時
  上行菩薩出現於世始弘宣之」という讃文があるという。ここに明かに「大本尊」と明
  記してあるのであるから、曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されないので
  ある。

  (浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
    1974年、p. 252)
  ──────────────────────────────────────

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/107.html

5独歩:2002/04/05(金) 12:29

Libraさん:

私は4に引かれる山中師の「曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されない」というの、やや言い過ぎではないのかと感じます。

通常、讃文は「仏滅後…未曾有之大曼荼羅」とされるのに、万年救護は「大覚世尊…大本尊」となっています。ここから、仏=大覚世尊、曼荼羅=本尊という等式は、容易に想像されるわけですから、山中師の言はわからないでもありません。しかしでは、なぜ、このような言い換えを、この曼荼羅に限ってされたのか?という点が明確にされない限り、結局、この等式は証明されないでしょう。


Libraさんは、この言い換えの理由をどのようにお考えになられますか。

文永11年というのは、曼荼羅図示としては、いわば初期、第二段階(身延入山の年)の始まりであって、その後、10年近く図されていく曼荼羅には「未曾有曼荼羅」と認められていく、考えようによっては初期の試作段階の記述と見ることもできないこともないと思うわけです。

また「後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」を聖人が自ら上行菩薩を宣言したと読むことは、もちろん可能ですが、しかし本尊抄一巻の記述からすれば、この段は、「後五百歳のときに、始めて上行菩薩が出現して本尊を立てるであろう」という意味とも取れるわけです。

此時地涌千界出現本門教主釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国

しかし、ここでいう本尊は本門教主釈尊なのですから、つまり曼荼羅中に、本尊教主釈尊の出現について書き留めておいたものであると考えることは可能ではないでしょうか。


それと勝呂師の「本尊の形式と思想を区別せよ」というのは、つまり、本尊“奉安”の形式と思想を区別せよという文の運びですね。

大曼荼羅・一尊四士・一塔両尊四士、また石山義を付加すれば、三宝一体、三宝別体、御影堂式(曼荼羅・蓮祖御影)、客殿式(曼荼羅・蓮祖御影・興師御影)、さらには曼荼羅・興師御影・目師御影という形式もあるでしょう。しかし、これは“奉安”の形式を言うのであって、これを本尊のというところに、そもそもの混乱があるのではないでしょうか。

厳密に言えば、本尊というのは根本とする尊崇の対象、つまり、仏・菩薩をいうのであって伽藍に奉安される曼荼羅・仏像・尊像を言うのではないはずです。仏像・曼荼羅を直ちに本尊と言ってしまうところに器物崇拝は発生するわけですね。

聖人において、本尊は久遠実成・教主釈尊、ここに混乱はありません(もっとも富士門では日蓮本仏を言い出し混乱させていますが)。

混乱があるのは、滅後以降の弟子たちが種々考案した仏像・曼荼羅の奉安についてであると思うわけです。

6Libra:2002/04/05(金) 13:47
独歩さん:

 混乱を避けるために、「本尊」という語を<狭義(厳密な意味)>でのみ使用すべきで
あるというお立場もありうるとは思いますが、私はもう少し広い意味で使ってもよいと思
います(「厳密な意味」をきちんと理解した上でならば)。

7独歩:2002/04/05(金) 20:17

Libraさん:

> …「厳密な意味」をきちんと理解した上でならば

たとえば創価学会、あるいは法華講員で、どれほどの率で「きちんと理解した」人がいるとお考えですか。その率が低いとき、それでも「広い意味で使ってもよい」とお考えになれますか。

8顕正居士:2002/04/05(金) 22:01
万年救護曼荼羅の讃文

大覚世尊御入滅ノ後、二千二百二十余年ヲ経歴ス、 爾リト雖モ月漢日三ヶ国ノ間ニ
未ダ之ノ大本尊有(ましま)サズ、或ハ之ヲ知ツテ弘メズ、或ハ之ヲ知ラズ、我ガ慈父
仏智ヲ以テ之ヲ隠留シ、末代ノ為ニ之ヲ残ス、後五百歳ノ時、上行菩薩世ニ出現シ、
始メテ之ヲ弘宣シタマフ。

「一閻浮提第一ノ本尊此ノ國ニ立ツ可シ」。讃文全体、本尊抄の要略といえ、本尊抄と
異なる所がないから、日蓮聖人の真蹟と考えてよいんでないでしょうか。

「爾リト:雖モ木畫ノ二像ハ。外典内典共ニ之ヲ許シテ本尊ト爲ス」。
しかし、
「草木ノ上ニ色心ノ因果ヲ置カズンバ。木畫ノ像ヲ本尊ト恃(たの)ミ奉ツルトモ無益也」

「我ガ慈父仏智ヲ以テ之ヲ隠留シ、末代ノ為ニ之ヲ残シタマフ」とは、
「一念三千ヲ識ラザル者ニハ佛大慈悲ヲ起シテ。五字ノ内ニ此ノ珠ヲ裏ミ。末代幼稚
ノ頚ニ懸ケサシメタマフ」であります。

9独歩:2002/04/05(金) 22:40

○いわゆる万年救護本尊・文について

Ryuei 師のサイトに5mb の BMP があったので、その相貌を明瞭に見ることができました。
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/Mandala016.bmp

讃文は中尊・日蓮・花押の余白に以下のように記されていました。

大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖爾月漢
日三ヶ国之
間未有之
大本尊
或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於

始弘宣之

私が意外に思ったのは「三ヶ国」の記述で“ヶ”と実際に記されていたことでした。この略字は750年前に既にあったものかと驚きました。

この文は曼荼羅を書き終え、日蓮・花押を左右に認めた後に、その余白を埋めるように記されている点に注意が引かれます。讃文というより、思いを書き留めたように感じられます。

> …本尊抄の要略といえ、本尊抄と異なる所がないから、日蓮聖人の真蹟

と顕正居士さんが仰る点は、もちろん、私も同じように考えるのですが、考えるのは「大本尊」が、実際にこの曼荼羅一幅を指すものかどうかという点です。本尊抄の略述であれば、本尊は「大覚世尊」を指すように思えます。もちろん「本尊為体」となると、ほぼ同様ですが、相貌(そうみょう)で言えば、善徳仏と十方分身諸仏の位置は違っているように感じます。

それにしても、特異な相貌であると改めて驚きました。


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