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360問答迷人:2009/01/02(金) 15:22:35

空即是進化さん

>「真実」を求めてこれまで生きてきたけれども、「真実」が私達の幸福を保証してくれる訳でなく、信じれるものがあれば(それが方便であっても)、信じ続ける努力をすることが、極端なカルトでもない限りベターである。

釈尊は、最初の説法において、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳、所謂、八正道、或いは八聖道を説いたとされています。これが、釈尊の教えの出発点であり、基本中の基本であることは誰しも否定されないものと考えます。

この基本から逸脱した教えはもはや仏教とは言え無いと思います。

釈尊は、むしろ、当時信仰されていた様々な教えに対する信仰を否定する事から始められたと言って良いと思います。

インドの磐石なカースト制度の社会に在って、人間の平等を説かれた事は、革命的な事であったと拝します。

三年前、僕は旅行でインドに行きましたが、今も目に焼きついて離れないのは、観光地ごとに、トイレの入り口付近に人が立っていたことです。トイレを済ませて外に出ると、彼は、紙を渡してくれて、それで手を拭くように勧めました。勿論、チップを出さなくてはなりません。ガイドに聞くと、その人たちは、一生トイレの前に立って紙を観光客に渡し、貰ったチップで生計を立てるのだといいます。そこには職業選択の自由は無いと。
現代の社会までこんな事が連綿と続いている社会、それがインドなのだと胸を抉られる思いがしました。ガイドはバラモン階級でした。ニューデリーの大学で日本語を学んだと言っていました。

僕の、このほんの些細な旅行体験から見ても、釈尊が人々に、尊厳と平等の教えを説いたことが、どれ程か革命的なことであったか、或いは反体制と看做されただろうと想像します。

僕は、釈尊が、生半可な気持ちで教えを説いたとは、到底思えません。又、そうだったら、今日まで仏教が伝えられる事も、又、辺境の地日本まで教えが伝えられる事も無かったろうと思います。

蓮祖にしても、釈尊の真実の教えが国を救うのだと、一身を投げ打つ理由は無かったろうと思うわけです。

僕は、八正道という教えに、人々を必ず救うのだとの、激しい気迫が籠められていると思います。

今日に於いても、日蓮正宗のウソ、創価学会のウソ、これらが日本の国を過つのではないのか、と恐怖を禁じえません。

釈尊の教え、そして、蓮祖の教えの真実を現代に活かすのが、仏教に縁した者の逃げる事の出来ない使命なんだと思います。方便ではなく、彼らの命懸けの真実しか、人の人生を、そして人類の未来を救う事は出来ないと思います。


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