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創価学会の功罪を考える

94苦悩乱者:2003/08/13(水) 15:09

MILDさん

>それは無駄だと・・・・

無駄というのは,主観的なもので,それを無駄と思わない人間も居るのです。人間と言うものは,自分中心に物事を考える性癖があるものですよね。私もそうです。創価学会の人達が言う「それは我見だ」もその様な意味を持っているのかもしれません。「自分の正当性」を守る為に,ことを仏法によせて,まあ批判をかわすために,仏様の言葉を自分のために利用するのです。
何らかの宗教を信じているような人も,それぞれの宗教の立場に立っているようにみせかけながら,実はその正体は「自分の心」であったりするのです。これは,しばしば起こります。

>日本の教会には・・・

お一人でですか。「迷った一頭」ですね。イエス様が「最も愛す」と語られたあの一頭

>僕は、いつ死んでもいい・・・
>信仰とは,そういうもの・・・・

全くそのとおりです。同じです。創価学会の言うように「お金が儲かる。病気が治る。大邸宅に住める」では絶対ありません。むしろ迫害をうけるのです。歴史は一面「古今東西,正しい人々が迫害を受けてきた物語」とも言い切れるものです。キリスト教もやりました。仏教もやりました。富士門流もやりました。私は,そのような時代を潜り抜けてきた人間を先祖にもつ者です。幸いに百姓の家系のようですが。

妙法蓮華経 如来寿量品第十六に「一心欲見仏 不自惜身命」と言う経文がありますが,これは朝に晩に読んでいる大事な経文です。法華経は過去,現在,未来に渡って,已に説かれ,現在説かれ,又未来に説かれるであろう経典(教え)の中で最大一の真実の教えであると宣言されている経典なのです。但しこの経の本当の意味を知る人は少ないとも説かれています。
法華経が何故勝れた教えと言われるか?それは「一切衆生 悉有仏性」一切衆生ですから人間だけではありませんが,ここでは人間に限定してお話しますと,全ての人には仏様(如来)と同じ心が有りますよと宣言してくれたわけです。「如来知見 広大深遠 無量 無礙 力 無所畏 禅定 解脱 三昧 ・・・」といろいろ有るのですが,無量と言うのは四無量心つまり,慈無量心,悲無量心,喜無量心,捨無量心です。
慈・悲・喜・捨の四つです(それぞれ大を省略)。世間には慈悲だけが広まっているようです。こういう意味が有るので,法華経を信じなければいけませんと言うのです。「法華経を信じない」ということは自らの「仏性」を信じない事になるからです。法華経とは南無妙法蓮華経です。私は「慈悲」には「アガペー(神の無償の愛)」に通ずるものがあると思っています。


>まあ,軍人ですよ。

「死を覚悟している」ということですね。死んだ人が羨ましいと思うほどの艱難に遇うと書かれていますね。疑う余地無くこの時代に起きそうですね,かなり鈍感な方でもその様に感じているようです。

>僕は馬鹿チンLDです。

鈴木大拙と言う人の著書(たぶん禅宗の方)に馬鹿(大馬鹿か?)になれと書かれていた気がします。悪くないですね。「LD」って何の意味ですか?実は「レス」(レスポンスか?)も「ロム」(文章書き溜めか?)も「スレッド」も意味が解らないのです。知っていたら教えてください。

>・・・全てを踏み台にします。

踏んづけてはいけません。「迫害を糧にして成長する」と言う意味ですよね。

>創価の一方的な迫害により・・・・

申し訳ありません。只,私は25年以上も「創価学会」とも「正宗」(まさむねと読まないで下さい,刀ではなく,酒を連想しますから)とも離れています。私も「迷った一匹」だったのです。

決して,一人ぽっちだとは思わないで下さい,孤独を永く味わってきて尚,「守るものがある」なんてすばらしい人だと思います。  では,このへんで失礼します。


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