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創価学会の功罪を考える
915
:
ワラシナ
:2003/11/16(日) 08:15
創価学会の功績 2
0、創価学会とは、先の方が定義されたように昔とは違ってきて「創価学会を信仰する団体」になったようである。従って、熱心な活動会員の心理ほど会に対して隷属的なって、頭の中がすっかり空っぽになって何を忘れることがあっても「自分が創価学会員であることを決して忘れない。」風にみえる。
頭の中ではいつも「創価学会」の四文字単語が四六時中繰返し点滅していて創価学会を忘れさせないように仕向けられている。
さて、こうなると、自分の周囲の環境そのものまでが創価学会という元素でできていると感じてくる。自己の周囲の一切を「創価学会」で塗りこめるに抵抗を感じなくなる。「創価学会」以外の世界が確かにあるという実感が薄れてくる。こういう心理背景が、「仏具をはじめとした学会キャラクターグッズ商品」を飛び出させたのであろうと思っている。
この心理が土台になっての振る舞いであればその利他的行動に制約が見られるのも当然と思う。何をやっても「会を忘れることが出来ない」のだから。
創価学会の社会貢献の評価の仕方も色々あるが、私の場合は立正佼成会のやっている社会事業を学会を見る場合の比較の対象にして見ている
1、会行動の本質が、上の定義にふさわしく思えるようになったことは、「功績」定義にも反映されてきて、次の二通りA B がいえてくると思う。いずれも「存在的」特徴を持つ。
創価学会の功績 A「ともかく今まで全く無かった、そういうものとしての創価学会なるものをこの日本戦後社会に送り出した事、どうこうしたから功績がある、というので無しに、それ以前のその存在自体の独創性に功績を認める見方」
その独創性とは、ばらばらになりがちだった比較的低資産低学歴非エリート階層の集団的組織化に成功したこと、大衆運動としての組織化に成功したこと。その成功の鍵は人や世の中を見る時の「目線の低さ」だったと思う。
それは「**主義」という言葉に引きづられて得たような感じ方、見方でない、正宗マンダラのミラクルパワーから得たような最も素朴な生命(!出たね)実感から由来したものと想像する。
創価学会の功績 B「その創価学会を大きくしたこと」これが一番の功績と思う。
色々な実績的功績も「会を大きくしたから」可能になったこと、と思う。
というふうに、どこまでも自分自身に対して金太郎飴のように創価学会にこだわらせるのが「創価学会の功績」の一つの意味としてある、というのが私の一つの見方としてある。
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