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創価学会の功罪を考える

9独歩:2002/04/04(木) 09:55

いちりんさん:

有り難うございました。
しかし、「永遠の指導者」(笑)
会則というのは、もっと実質的な運営方法なんかを定めるものなのでしょうが、要するに池田さんのさらなる絶対崇拝と戒壇之本尊から離脱を意図したものというわけですね。

あと「日蓮正宗」の文字を削り、ここに独立を徹底した、となると、今後、曼荼羅は、どうするのでしょうか。日蓮正宗歴代寛師ではまずいでしょうね。戒壇之本尊の崇拝は、いまや顕師の攻撃材料以上の意味をもち合わせていないわけですから、今後、やはり、他山の歴代曼荼羅ではなく、独自曼荼羅、つまり、永遠の指導者(?)が書いた曼荼羅を置かないと人法一箇にはならないでしょうね(笑)

そういえば、戸田さんは生前、曼荼羅を書いていたという話をまことしやかに聞いたことがありますが、この実否はいかがなものでしょうか。

また、池田さんは色紙で「妙」の字を、よく書いたものでしたが、人によっては、「妙」文字一字でも曼荼羅の意味をもつと指摘します。まあ、けれど、それを安置して、そこに向かって題目を唱えるわけでもないでしょうから、そうとは言いきれないかもしれませんが。

52年度路線のときには、塔婆に対抗して、「慧光照無量」と池田さんが書いた題字を使用したわけですが、塔婆は五大、妙法蓮華経の五字とするのが富士義ですから、こちらは曼荼羅に当たるといえば言えるかもしれません。

正本堂寄進の折には、戒壇之本尊は赤沢朝陽がお色直し、つまり、修繕をしたのですが、この時、聖教新聞社のHカメラマンが戒壇之本尊を詳細に撮影したと言います。52年度路線後、八王子牧口記念館には、実は、その写真をもとに完全な戒壇之本尊のレプリカを作り、安置する予定であったなどという噂が流れました。時価数億円の聖人真筆曼荼羅を創価学会が購入したのもこの頃でしたね。

永遠の指導者(仏)が書く曼荼羅であるから人法一箇であるというコンセプトを有する富士義から、池田さんが書くか、あるいは曼荼羅をやめるか、それとも日蓮正宗という他山の曼荼羅を頒布し続けるか、今回の改定が残した、いや睨んでいる方向は、この点にあるのかもしれませんね。


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