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創価学会の功罪を考える

528三学無縁:2003/10/31(金) 20:54
(承前)
さて、わたしにとっての、戸田さんのイメージは、もうひとつあります。
それは、沖浦様も聞いておられる、肉声からのイメージです。
その内容については、感想を述べることを控えますが、金もない、
教養もない、当時の一般庶民にとって、戸田さんの話術は強烈な印象を
与えたことでしょう。
「飲んだくれのおっさんが、立派な背広を着て、えらそうに喋っている」
「もしかしたら、自分もああいう金持ちになれるかもしれない」
「でかいことばかり喋っているけど、ひとは良さそうだ」
「質問にも親身になって答えてくれているから、信じてもよさそうだ」
「威勢のいい話で、なんだか元気になってくる」
こういったあたりが、当時の学会員の偽らざる感想でしょう。
高度経済成長前の日本にあって、虚妄であったとしても、希望の片鱗を
聞かせた戸田さんを、わたしは嫌いではありません。
酔っ払いの大ぼら吹きの大風呂敷でも女好きでもいいではありませんか。
話を聞いて、それで明日を生きる力になった、それは事実として否定
できません。
わたしは、そういう、人間的に破れながらも一般会員に接する戸田さんの
魅力を感じています。
ただし、このことと、先の権力者としての話は別の問題として考えたいものです。

いずれにしても、戸田さんが、本音のところはいざ知らず、肉声や当時の聖教や
大白において、正宗を絶対的なものであるとし、国立戒壇の建立を本気で考えて
いたことは事実です。
また、戒壇建立の文証とされる「三秘抄」のどこを読んでも、その建立されるべき
戒壇が「民衆立」などというものであるとは書かれていません。
戒壇は「民衆立」であるという文証があるのならともかく、「国主」「勅宣」「御教書」
などが建立の前段階での要件として書かれている以上、そして、事壇建立をいい、
その文証として「三秘抄」を用いる以上は、「民衆立」の戒壇などありえません。
それは、日蓮というひとの考えにも教えにも存在しません。

ただし、日蓮の考えにも教えにも関係なく、独自の教理として「民衆立」の戒壇
を主張するぶんにはかまわないだろうと思います。
もちろん、それは、非日蓮系新宗教の教理ということになりますが。

話がそれてしまいました。
戸田さんについて、あと一点だけ。
戸田さんの当時でも数億円あった遺産は、結局どうなったたのか。
奥さんにも妹さんにも、遺産としてはほとんど相続されなかったのでしたね。
当時の金庫番は、誰だったでしょうか。
最愛の妹さんに遺産すら残さない戸田さんだったのでしょうか。
わたしは、この一事をもってもポスト戸田体制の学会を好きになることはできません。

以上、長々と書いてしまいましたが、事実誤認があればご指摘ください。


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