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創価学会の功罪を考える
527
:
三学無縁
:2003/10/31(金) 20:53
沖浦様
はじめまして。
私にとって戸田さんという方は、二つの意味を以って立ち現れます。
ひとつは、牧口創価思想を石山流にアレンジし、同時に、石山の坊さんたちの
信仰心を薄めさせたひと、というものです。
とくに学会の折伏による授戒の急激な増加と、「御供養」の大幅な増加は、
僧侶は布教しなくてもいいという錯覚を生じさせました。
しかも、御書は学会が作ってくれるは、他宗との問答は学会がやってくれるは、
ごく一部の僧侶を除いて、多くの僧侶は、法華経も御書も富要も勉強することを
しなくなってしまいました。
これは、たしかに僧侶の堕落ではありますが、ご授戒と法事、葬式で時間をとられ
自分の時間すらもてなくなってしまったということの結果でもあります。
しかも、朝、起きれば、寺の門前に本尊が捨てられていることなど、日常茶飯事で
あったことを、20年代から30年代に入信したひとならたいていご存知でしょう。
寺についている信徒ではないので、その本尊が誰のものかもわからないわけで、
そういう事態を目の当たりにすれば、学会の折伏がどれほどいい加減なものかは、
だれにでも理解できることです。
僧侶の側からすれば、そのような折伏をする学会が、まっとうな信者であるわけ
がありません。
内得信仰もなく、30分前に折伏されたばかりで寺につれてこられてご授戒を受ける、
そういうケースがけっして稀なのではなく、ごろごろあったのです。
それに対して、しっかりと内得信仰をしてから、ご授戒を受けるように、と考えた
僧侶もいましたが、彼らは、「学会員を差別する悪僧」として糾弾されたのです。
本尊さえあれば幸福になれる、それが当時の学会流折伏の殺し文句でした。
そんな教えは、御書にも富要にもありません。
学会の数の力の脅威が、僧侶に如実に実感されたのは、やはり狸祭り事件でしょう。
戸田さんに対する登山停止処分に対し、学会員が正宗寺院をさみだれに訪問し抗議
たために、寺院では法事や葬儀の時間もとれなくなり、身動きがとれなくなったわけです。
次に、僧侶が学会を脅威に感じたのは、広宣流布の模擬試験のときです。
戸田さんが刎頚の友であった時の総理大臣を本山に呼ぶ、これも、僧侶に錯覚をおこさせました。
現職の総理が来るほどわれわれの信心はすごいんだ、と。
しかし、本山の役僧にとっては、すごいことでもなんでもなく、脅威でした。
なぜならば、信者でもない人間の「武運長久」を祈らされることになったからです。
まさに、昭和の不受不施問題の勃発でした。
しかし、石山首脳は「総理が来れば全山で武運長久を祈る」ことを承諾しました。
ひとつには、学会をおそれ、いまひとつは戸田さんに貸しをつくると同時に政治との
パイプをもつという魅力に勝てなかったからです。
わたしは、このような戸田時代の学会のありさまこそが、今日の諸問題の根源である
と思っています。(つづく)
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