[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創価学会の功罪を考える
520
:
ジャンノレン
:2003/10/31(金) 09:25
(続きです)
特に一個の人間の自我の在処と団体に投影された自我の延長が何らかの論理的背景で抑圧解放にイエスとする記号が確認された時、
単位としての社会的拘束下にある自我はその抑圧の自己規定を解錠すると思う。特に団体的自我は抽象的であるので、人格的なシンボ
ルが操作ないし演出されればありもしない理想偶像と概念操作された不実体なものに拍車を駈けるべく後は、不特定多数の民衆の潜在
下願望を強く刺激することで自己洗脳はスタートするのではないか。シンボルはある種の倫理的規範でもあるが、矛盾的な潜在下欲望
の開放にイエスといってくれるサインを持つ人である。ある時は道徳的であるが、ある時は非社会的なサインを出す人。社会規範にが
んじがらめになっている、ないし自己実現が閉鎖された自我にとっては快感のシンボルでもある。一向一揆や法華一揆などはレジスタ
ンスとしての側面もさることながら、大衆として国家の潜在化の意識に抑圧された意識の台頭ともいえるのではないでしょうか。
平和と戦争、対立概念を同時にサインを出す。矛盾の乖離が大きければ大きい程、社会階層の共感性と解放快感は広いと言える。後は
シンボルとして継続的な解放刺激を送り続ければ単位としての個人、いうなれば団体と自分はイコールであり、自我延長の団体否定は、
自分自身の否定に繋がっている。普通には有り得ない自我拡大解釈だが、実際には団体イコール自分なのである。何故ならば団体の存
亡は自我の存亡に直結しているから。家族、会社、国家、すべてここ何年かで崩壊していった団体幻想であるが、疑似社会としての団
体維持は快感を約束された自我の安定であるから、それを支え続けなければ自我の崩壊があるという錯覚も効をそうする。
個人としてはいい人でも団体危機回避のサインが何処からかでれば、これはあたかも血液中の白血球のように自動的に外敵・味方と局
所で自己内判断され所与された団体論理の枠組みの中で運動し続ける。行動様式は一元論である。善か悪か、行動か停滞か常に二種の
選択肢しか用意されない。一般的社会と彼等の属する疑似社会は相当な隔たり乖離が当然確認される、一方は多様であり、片方は一元
である。価値の多様を認めれば団体は急速に求心力を失う。いわゆる混沌(カオス)である。団体内は一元管理であるので安定した団
体内秩序で満たされている。しかし、個人がかつて確認できた抑圧開放とは無縁の官僚的組織に為らざるをえない。それは一元論のド
グマでもある、故に団体は存続維持のために、常に外側の世界に対して敵意を持たせ、団体に所属する人の自己投影ができるように個
々の問題反映を映す社会的弱者を装わねばならない。体制的属性に団体が加担を余儀なくされたときは、団体内粛正や敵を永遠に作り
続けないと運動は停止してしまう。破綻は団体存在の矛盾やシンボル論理の破綻から招かれるのではなく、永遠の外敵を創出できるか
どうかと云うところが哀しい。まさに妄想である。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板