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創価学会の功罪を考える
519
:
ジャンノレン
:2003/10/31(金) 09:24
妄想、確かに不特性多数の方々が、自己実現として満たされない充足を何かに託す形で成り立っているという側面は個人的にも団
体的にもありますね。カタルシスという言葉がありますが、これは最大公約数的潜在願望の露出ということが言えると思います。
たとえば、社会的階層のなかで低位(それが存在的価値低位という誤解は為さらないで頂きたい)の方は自己実現力の面で言えば
大多数を纏める立場には殆ど機会として恵まれていない事実がある。常に不安と抑圧感情の現出を避けて汲々と暮らすことを余儀
なくされる個にとっては、適わぬ理想や実現という願望と対峙して苦悩するより、刹那的にも眼前を生きる方が楽である。
しかし、社会的位相を変えて、ある種の団体の単位にその機会があったとしたら、(たとえば任意の団体、宗教とか慈善とか、運動
体等、社会的構成を基礎とする集団)そこで何らかの潜在的な不充足感の解消化を感じる理論や行動様式に出会えば恐らく傾倒する
と思われる。潜在的不充足感を自己に託すか、自己の投影である近位の映像に託すか、はその方の個性によると思うが、二者択一で
なくとも団体構成の中でしかも、抑圧の発散という充足感を自己的か他者投影的かに満足できれば、男性にしろ女性にしろ、非日常
的な開放感を覚えるに違いない。それが社会的に大きなインパクトになれば成る程、その開放感と共在感は大きいと言える。一般の
人が享受する社会性とは違った行動様式を与えられた模倣社会は、いわば安住の理想的社会になる訳でしょう。
元々宗教は社会的なものと対抗することに一面意味がある訳だから、その団体的存立基盤はアンチである。不特定多数の民衆の抑圧
願望を一個の人間の顕在されない潜在願望とが結ばれると(国家構成の単位の大衆願望をエスと解釈)開放化を伺う潜在意識は実現
の隙間を常に伺う訳であるから、抑圧願望の開放の正当を何らかの(革命意識とか教義とか)もので肯定されれば、エスとして蓄積
されたエネルギーは抑圧の大きさと個の数量(構成員)の分だけその噴出力は凄まじいものがある。鎌倉期の新宗教や平安期に出現
した聖などは個の拾得に集団としての力を注いだと思う、エスをかき集めて特権階級(顕在化された意識群)に対するアンチとした
構図は考えられないだろうか。戦後の発展はある意味忘れられた存在の貧・病・争のエスの怨念の裏返しともいえまいか。
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