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創価学会の功罪を考える

508アネモネ:2003/10/30(木) 14:52
横レス失礼いたします。

犀角独歩さん

レスありがとうございます。
私は、社会人として、あまりにも創価学会に対して無知だったと、今とても反省しております。そのような気持ちも含めて、少しご返信をさせて頂きます。

>世界の指導者であると思っていた「池田先生」も世界ではまるで無名でした。世界には一部の人を除いては「創価学会」「池田大作」の存在をする人などいませんでした。

大変お恥ずかしいことなのですが、実は私、もともとが世間知らずでして、法華講に入るまで、創価学会のことも池田さんのことも、ほとんど知りませんでした。
もちろん、創価学会の名前はどこかで聞いていました。だけど、創価学会=新興宗教としてイッンプットしておりましたから、天理教やPL教や真光教など、他の新興宗教とまるで区別がついていなかったのです。現在宗門から離れた以上、結局、新興宗教という捉え方で正しかったのかもしれませんが。

もしかすると、私ほど創価学会を知らない世間知らずもまた珍しかったかもしれませんが、とにかく創価学会の方から直接お誘いを受けたり、下種や折伏を受けたりということは、過去に一度もありませんでしたので、法華講に入るまで、その存在を意識することなく生きてきたのだろうと思います。
まあ、そんな調子でしたから、池田さんの顔もまるで知らず、いまだに顔を見ても憎悪も好感もなく、基本的に特別な思いというのをまるで抱きません。
私にとってみると、この感覚が一般的なものなのではないか思ってしまうところなのです。

ところが、現役学会員にしろ、元学会員にしろ、恐らく私の想像では、創価学会や池田さんのことを考えることのない日は、一日たりともないのではないかと、そんな感じを受けています。
まずは、そのことが、一般的には、とても考えられないことだと思います。

組織に関わったことのない人にとってみれば、ほとんどその存在について、日常的に意識はされていないでしょう。最初の温度差とは、そこに始まっているでしょうね。

しかし破門のときは、あんなに世間を騒がせ、マスコミもそれを大きく取り上げてたわけですが、もともと日本人は飽きっぽく忘れやすいところがあり、結局いまとなっては、法華講ですといえば、「あー学会さんですか」と言われている状態ですね。
それも、存在が日常的に意識されていないひとつの証拠ともいえるでしょう。
しかし、存在を意識しないということは、言葉を変えれば、無警戒なわけですから、それも問題です。なんせ政界にも力が及んでいるわけですから、関心がなかった、知らなかったでは済まされません。意識を変えなければならないなあと、つくづく思いました。
まずは、感覚的な温度差ということについて、レスをさせて頂きました。


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