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創価学会の功罪を考える
497
:
沖浦克治
:2003/10/29(水) 23:32
(続きです)
>学会では世間が劣っていると教えられていたのですが、“進展”して見た実態は逆でした。学会員であるわたしは操作されていたのです。
世間も創価学会も同じです。
もし創価学会員が優れていると思っていたのであれば、あなたの勘違いにすぎません。
人は全て平等ですよ。
蓮祖はよこしまな権力者や、僧侶当に対して、我が弟子は優れていると仰せですが、人間の可能性のうえの平等を認めた、おそらく最初の人でしょう。
>わたしが創価学会を、脱して何よりいちばん驚いたことは、会の中で言われていたことと社会の現実があまりにも違っていたという事実でした。この衝撃は、入会脱会の経験のない人にはわからないものです。
私が組織を離れ、世間で活動し始めたのは30歳の時でした。
私も驚きました。
世間にはすごい人たちが、本当に驚くほど多くおられました。
現在の私の原点となっている体験でした。
自分は創価学会員として、この人たちに負けない人間になるべきだ。
創価学会の中でしか通用しない人間などには何の値打ちもない、と悟ったのがこの体験でした。
>わたしが創価学会にいた頃、盛んに言われていたことは「広宣流布の上げ潮」「広宣流布の総仕上げ」ということでした。この言葉を鵜呑みにしていた自分は、もうすぐ広宣流布が実現すると信じて疑いませんでした。今から30年前の話です。
私が今58歳ですからほとんど同じ時期の体験でしょう。
このときから私は、広宣流布などこれからだ、と自覚し現在に至っております。
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