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創価学会の功罪を考える
478
:
沖浦克治
:2003/10/28(火) 20:16
>>この方は、私専用の新聞や本が創価学会にあるのかとの、ご質問をされました。
>当然の質問だと思います。
そもそも、この質問の原点である沖浦さんのレスは、
あなた方専用の御書があるのですか?
とお聞きします。
『要するに、最低限、過去全ての大白蓮華や聖教新聞の中に、そのようなことが書かれてあったのかという根拠を求められたわけです。当然の質問だと思います。
ところがです。』
と次にお聞きですが、理解能力は人により異なります。
蓮祖が末法のご本仏である事を理解できない人は、多くいますよ。
同じく、彼が理解できない事は彼の問題です。
本気で知りたければ、礼を尽くして聞くべきでしょう。
それが世間の礼儀と言うものですよ。
>ということですから、それでは何のことはない、根拠もなく豪語しただけの言葉だったということになります。
そのようなことは一度もありません。
根拠も無く豪語しているのは、意味の無い学会批判をしている人たちです。
この人たちのご意見からは、広宣流布の情熱が感じられません。
広宣流布は、蓮祖の最大のご遺命です。
これを離れて蓮祖の仏法はありません。
布教をせよとのご文は無数にあります。
布教をしなくてもいいというご文は何処にもありません。
御書は、布教をせよとのお言葉で満ち溢れんばかりです。
何故彼等は、広宣流布に対する意気込みや、構想や、自身の取り組に付いて語り合えないのでしょうか。
いくら法門、法儀を研究し、ご真筆にこだわっても広宣流布を目的としなければ、何の意味もありません。
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