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創価学会の功罪を考える
43
:
宮本
:2002/04/06(土) 11:19
つつぎ
>脱会は、実はわたしたちのような・・・。
多くの去られた人達は、そのような考えかと思っております。
私は、こういった事が、何か罰のようなものがあるとか、悪いこととか
そういった感覚なり考えは、全くありません。
したがって、先生及び大幹部の人と違うと思います。
(同じ立場の場合、私でも脱会したかもしれませんしね。)
>一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事。・・・。
との事ですが、
たしかに、学会教学では、以下御指摘の通りになっております。
しかし、この解釈は、私は、入信当初と今では、幾分違います。
(学会員のくせにと御立腹されると思いますが)
まず、時代を鎌倉時代とし、当時と同様の社会情勢、環境、宗門の状態ならば
日興上人のこの『日興遺誡置文』は、将来にわたる深深の御配慮と御考察もあり
その通りかと思います。
(僭越ですが)
しかし、現代では、違うと思うのです。(例外もありますが)
例えば、いちりんさんを例にあげ失礼とは、思いますが
インドに神の化身と呼ばれるサイババ師がおられます。
(いちりんさんごめんなさい)
ダルシャンを3回受けた経験のあるいちりんさんは、
学会流の教義解釈でいうと、もう3回は、地獄だの不幸だの
っていうことになります。
しかし、いまだ、そのような状態が発生したとは、思えません。
学会員ですと、「末法だから冥罰だ。因果異時だ・・・」と
とにかく、他人を不幸にしたがる一部、変な馬鹿者がいるわけです。
聖教新聞を例にとると、宗門が、マザーテレサを批判すると
それは、違うとありました。
しかし、御承知の通り、テレサは、異教徒のしかも修道女、
当然、祈りは、毎日行うような人でもあるわけです。
要するに、教義解釈を特定人物に限り変更しているわけです。
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