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創価学会の功罪を考える
429
:
沖浦克治
:2003/10/27(月) 22:21
>(2) 寛師漫荼羅という意見がありますが、寛師が書写したものを「寛師漫荼羅」ということ富士門では一般的なところです。
この表現自体に、宗門の思い上がりが顕れています。
自分達の法主は蓮祖と同格だ!との恫喝を私は感じます。
もちろん、あなたがお感じになられないことは、ご自由ですよ。
>寛師の漫荼羅が蓮祖の漫荼羅を写したものであるから、それは蓮祖漫荼羅であるというのはいちおうの意見として受け取れないことはありません。
寛師の曼荼羅などこの世に存在いたしません。
寛師書写の蓮祖の曼荼羅です。
一応であろうが、再応であろうがお力のある曼荼羅は、蓮祖のものしかありません。
それ以外は、蓮祖敵対の邪儀です。
>寛師が書写した導師漫荼羅は蓮祖漫荼羅とその相貌が違うがこれを蓮祖漫荼羅をできるのかという問題がまずあります。
何が問題なのですか?
蓮祖の曼荼羅と相貌が違うのならば、偽曼荼羅です。
寛師が書いた事が事実ならば、寛師はその程度の法主です。
さもありなんとは思いますが、事実を知りませんのでおいておきましょう。
>他五老方が書写したものも、現在の顕師の書写したものもすべて蓮祖漫荼羅ということになるでしょう。
あたりまえです。
>それを否定することは蓮祖漫荼羅を否定することになります。
不思議な人ですね、何故くどとあたりまえの事を声高に述べているのですか?
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