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創価学会の功罪を考える

424犀角独歩:2003/10/27(月) 19:04

何日か前にウイルスを食らい、メインのコンピュータが使えず、投稿ができずにいました。今の段階でも、サブコンピュータで訥々と入力できる程度です。
勝手気ままな放言が横行しているのに辟易とロムしていました。言いたいところは山ほどありますが、まず述べなければいけないところを先に記します。

(1) 石山を「邪宗」ということ、戸田さんを「諸悪の根元」というのは同レベルではありません。「邪宗」は一般流通文書に使えない不適切な差別語であるのに対して、「諸悪の根元」は一般に表記される成句です。また、わたしが戸田さんについて、かくのごとき結論を出すのは過去50年間の我が家の被害に基づく記述です。また、かつて創価学会・戸田さんは「日蓮正宗を国教化し国立戒壇を建てる」と言って、人心を煽動したけれど、そのような創価学会の方針はいとも簡単に反故ににされた、それ故、その創価学会・戸田さんの指導に従った人々は多大な被害を被り、その脱会者は1000万人も上るものとなった。また、戦後、日本社会において「折伏闘争」と称する常識を逸した勧誘行為を繰り返し、さらに昭和45年に池田さんが社会に謝罪をしなければならなくなった言論出版妨害という自由への迫害など、それらの創価学会の「罪」のその元々の原因は戸田さんに求められる故に「諸悪の根元」と説明の上で記したわけです。それと不適切・差別語を弄して自分の所属する団体と敵対関係にある団体に暴言を吐くことと同レベルではありません。

(2) 寛師漫荼羅という意見がありますが、寛師が書写したものを「寛師漫荼羅」ということ富士門では一般的なところです。しかしながら、寛師の漫荼羅が蓮祖の漫荼羅を写したものであるから、それは蓮祖漫荼羅であるというのはいちおうの意見として受け取れないことはありません。しかしながら、この場合、寛師が書写した導師漫荼羅は蓮祖漫荼羅とその相貌が違うがこれを蓮祖漫荼羅をできるのかという問題がまずあります。近代の導師漫荼羅を否定したのは創価学会でしたから、この線に則れば、この寛師漫荼羅は単純に蓮祖漫荼羅と呼ぶことはできないことになります。また、蓮その漫荼羅を書写したものはすべて蓮祖漫荼羅であるというのであれば、他五老方が書写したものも、現在の顕師の書写したものもすべて蓮祖漫荼羅ということになるでしょう。つまり、それを否定することは蓮祖漫荼羅を否定することになります。「そうは思わない」などという無責任な不同意はここでは論外とします。

(3) 社会の戦禍その他に目を向けよという意見はいいでしょう。では、その創価学会は何をしてきたのか、イラン、イラク、イスラエル、北朝鮮という核問題にも関わる国に対して、どのような折伏・広宣流布をしてきたのかという問いに対して、「これからする」という答えが返ってきました。これは要するに創価学会は過去半世紀、何の平和行動も実際の戦禍に対しては行ってこなかったことを意味します。また、その世界危機の重要人物であると目されるブッシュ、フセイン、ラディン、金という人々にどのような折伏をしてきたのかという問いに対しても「これからする」というわけです。

結局のところ、戦禍からの脱却のための平和のための実際行動をいままで何一つやってこなかったのが創価学会の実態であることが明らかとなりました。それにも関わらず、あたかも世界に向けて折伏・広宣流布を行っているように見せかけ、巨額の「広布基金」「特別財務」という寄付を集めるその口上に「広宣流布には金がかかる」と言ってきた実際の広宣流布なき収奪をわたしはそうか創価学会の「罪」の一つとして、明示したいと思います。これまた「そうは思わない」という無責任な不同意とは無縁の提示です。
もし、創価学会池田さんが上述の国家、人物に折伏をし、世界平和のために広宣流布をすい試飲しているというのであればその実例を挙げる以外の「思う・思わない」という個人の判断はここでは意味をなしません。

(以上でいう広宣流布は創価学会の用法を奪って論じたもので、わたしの各資料から考えるその語彙の原意とは隔たっています)


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