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創価学会の功罪を考える
373
:
沖浦克治
:2003/10/25(土) 08:58
アネモネさんに
長々と書きましたが、申しあげたい事はそんなに多くはありません。
私は、何百年以前の法主がどう言ったこう言ったにはあまり興味が無いのです。
同じく、どの経典に何々が載っていて、それが富士門流の正当性にどうしたこうした、にもほとんど無関心です。
興味があるのは、いかにして蓮祖の法を世間に人間として実践し、生活の上に実証を示すか、です。
『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」云云、(秋元殿御返事)
『知者とは世間の法より外に仏法を追行ぜづ』(趣意)
私の知る限り、過去に創価学会で組織のために極端な活動をした人々の大半は、退転をしています。
信心や学会活動折伏等は、一応は他人のためにやるように見えます。
然しながら、それは違うのです。
それらは、自らの宿命転換のために行なう不可欠の修行です。
日常生活に功徳として顕れ、生活を潤し、人間性を高められなければ蓮祖の門下ではありません。
自分は信心を何十年やっている。
自分はまだ駄目な暮らしだけれど、この教えは間違いありません。
この人は信心をしていないのです。
信心みたいなことをやっているのです。
世間の人々から『あの人のようになりたい』と思われねば、蓮祖の門下ではありません。
それが必ず可能なのが、蓮祖の仏法ですよ。
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