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創価学会の功罪を考える
360
:
沖浦克治
:2003/10/24(金) 23:20
>では、不信の人は、何と呼びますか?
法主不信の意味ならば、その人は正しいですね。
蓮祖不信であれば、法主が教導せねばなりません。
しかし今の宗門には無理な話です。
そもそも信徒の幸福などは二の次です。
>>能化は手段、所化は目的。
言葉が足りませんでした。
所化を能化にする事が、能化の目的です。
所化がいなければ、能化は不必要です。
生徒がいない先生など要らないのと同じです。
信徒がいない法主などに、値打ちはありません。
人間のいないところに仏が出現しても、意味がありません。
>私はそのような役割を定められてしまうような組織信仰の歯車に組み込まれるのは、とても馴染めそうもないですね。
馴染むか馴染まないかの問題ではないと思います。
世の中はそう言う仕組みになっております。
宗教のみが別の形式を取る事は不可能です。
>なんだか、目的別に役割が固定されているようで、とても息苦しそうですね。
この仏法を広めるということは、社会全体がそのような創価学会の組織に組み込まれて、画一化されてしまうというようなことを目標としているというものなのでしょうか
何故そう言う風にお取りになるのかが理解致しかねます。
法主のための信者よりズット民主的だとおもいます。
本尊の為の人間がお好きでしたら、宗門にいかれるべきです。
私どもは、人間のためにご本尊様があると考えております。
>そもそも創価学会では、人類の幸福とは何であるとしているのですか?
大変難しい問題ですが、生死の問題を解決する事だと思います。
死の瞬間に、自分の人生はよかったと、思えることでしょう。
少し見方をかえれば、年老いて自分の人生を振り返った時に無駄が無かった、と思えれば成功した人生だと思います。
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