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創価学会の功罪を考える
36
:
独歩
:2002/04/05(金) 22:57
宮本さん:
脱会は、実はわたしたちのような旧い世代では“学会の指導に基づく”極限の選択だったんですよ。
なにかというと、『日興遺誡置文』の学会的な解釈です。
一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事。
ですから、宮本さんの言葉を借りれば「学会には、欠点がたくさんあり」と決断した点で、同座せず、与同罪を恐れれば、その場を去るしかない、つまり、今日的な言葉で言えば「脱会」するしかないことになります。
また、行くところがあるとかないとかなどという依存的な考えは富士門の考え方ではないという気持ちはあるわけです。すなわち、興師の
罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え
ということです。
チョンガーさんの解釈に、私は決して賛同するとかどうとかではないのですが、切羽詰った窮余の結論は理解できるところがあるということです。
なお、いまは池田さんを仏と言わなくなったことは結構なことですが、仏教の永遠の指導者はブッダですし、我が門下においては、付して蓮祖に限るのではないでしょうか。
一般的に言っても、生きている人間を捉まえて、会則改定に「永遠の指導者」を謳うなど尋常とは思えません。
なにか池田さんとその周囲を見ていると豊臣秀吉を思い出します。いったい誰が創価学会の徳川家康になるんでしょうかね。
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