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創価学会の功罪を考える
33
:
独歩
:2002/04/05(金) 20:41
Libraさん:
ご承知のことと思いますが、Libraさんが御書根本で引文は「師匠が地獄に堕ちるならば、自分も堕ちるというのが師弟不ニだ」という池田さんの指導に対して、その過ちを示すために達師が引いた一節です。
Libraさんは真面目な研学の徒であるから、そのような姿勢の方が御書根本というのは、それには頷けるものがあります。しかし、創価学会を含めて富士門僧俗は、御書根本なのではなくて、御書“独自解釈”根本なのではないでしょうか。それ故、Libraさんも創価学会の教学姿勢について、異論を唱えることになるのでしょう。
かつて創価学会は池田さんを仏と、さらに「久遠の師」と言ったものでした。つまり、永遠の過去から現在に至るまで、池田さんは師であったという独自解釈です。この点は昭和52年度路線で「6・30教学上の誤り」で訂正しましたが、のちに「無理やり」させられたことであると言葉を翻した経緯があります。
そして、「永遠の指導者」と言い出し、久遠という過去から、今度は未来永遠の指導者であるというわけです。過去と未来、その自制は変化しても、要は言っていることは同じ。そして、学会の中でいつも言われるのは「御書根本」ということです。つまり、過去の反省はなにもなく、あるのは正統化、「常に自分(たち)は正しい」という考えです。
私はLibraさんがいう御書根本と創価学会がいう御書根本とは、上述のとおり、意味は違うと拝察はします。しかし、創価学会に事寄せて、「御書根本」と言えば、誤解を招くことになると思うわけです。
故に御書根本を、かつて達師が、創価学会・池田さんを嗜めた一節をもって説明するのは、不適当であると私は思うわけです。
師匠に誤りがあるのであれば捨てる、つまり、創価学会を脱会するという選択肢は、むしろ、御書根本の引文である「師なりとも誤ある者をば捨つべし」に叶うものでしょう。つまり、その意味において、チョンガーさんの記述は私は理解できるところはあります。しかし、そのあとに続く「捨てざる義も有るべし」から、留まり異論を告げるLibraさんのお立場も理解できないわけではありません。
ただし、「宇宙生命論者であられるチョンガーさんが「日蓮教学」を正しく理解されているとは、私にはとても思えません」と言われるけれど、それとカルト性回避の方法論の提示は、むしろ心理的方法論に係るものであるから、直ちに関連付けて批判するようなことであると、むしろ、私には思えません。
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