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創価学会の功罪を考える

14いちりん:2002/04/04(木) 10:42

>と3月29日の全国総県長会議では、斎藤教学部長が「弘安二年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。」と説明しています。(聖教新聞3月30日付第4面)

「弘安二年の大御本尊を書写した御本尊」ですか。。。
しかし、弘安二年の大御本尊って、大石寺にある板曼荼羅のことですよね。

代々の日蓮正宗は、弘安二年の大御本尊を書写しているのでしょうか?
だいたい、弘安二年の大御本尊って、略式っぽいですよね。

十界がなくて、八界しかない。

具体的には、────。
若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号のことぱもないし、
大六天魔王、阿修羅王、転輪聖王、南無普賢菩薩、阿闍世王、大龍王、南無天台大師、南無龍樹菩薩、南無妙楽大師、南無伝教大師……などがありませんよね。

そして、大寺にある板曼荼羅と、各家庭にある曼陀羅とこれまた相貌が違うし、たぷん、代々の法主に依っても差異があると思いますね。

いまの日寛さんの曼陀羅と、日顕さんの曼陀羅も、随分と違います。

そもそも、代々の法主が、弘安二年の大御本尊を書写しているならば、どうしてそんなに違うのでしょうかね。

いったい何をもとにして、代々の法主は、御本尊を「書写」しているのか、わりと不思議です。


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