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創価学会の功罪を考える
1152
:
MILD SEVEN
:2004/05/14(金) 01:41
>1148 君のホームページで、さもありな防衛だのマクロだミクロだの全く無意味と気がつけない所に無能さが露呈する情けないお粗末なしろものだ。おそらくこれを見れば、愚かだの創価の霊が云々と書き込んでくるのは目に見えているが 、ここまでボロクソに書いたケジメに一つ教えよう。創価の悪はそーんな浅はかな所にはない。
了解しました。
そして、管理人さん。
どうやら、原点=日蓮氏から学ぶ必要大ですね。
恥ずかしげも無く・・・再び、私の、創価との経緯を紹介しておきます。
<創価学会問題等 カルト問題サイトを作った経緯>
裁判所よりも兄弟姉妹。
そして、良識ある宗教者に検討してもらうのが第一。
後の事は後に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<事件 1>
1988。
ドイツで働いていた頃。
あの国は、日曜日になると、町全体が休日の雰囲気になる。
私の店も、店休日になるのが多かった。
私は教会に通い始めた。
・・・・・・・
私の職場には、創価学会員と、反創価の派閥の対立があった。
ある日、私は先輩(創価学会員)に、教会に行っている事を話したら・・・その日から態度が変わった。
その先輩は、何かあるたびに{おまえが悪い。全部おまえが悪い! と。}イジメるようになった。
反創価の先輩に聞いたら・・・あの組織の連中は、{狙いをつけた者を、イジメぬいて・・・その後、飲みに連れて行って・・・優しくして・・・組織員にさせてしまう。}との事。
卑怯な連中だ!
当時は、そうだった。
私は屈しなかった。
<事件 2>
1991、日本に帰国して後・・・。
徹底的にモルモットにされた。
私は、未熟な異言者だった。
狂わされた?新婚だった。ショックで、記憶が断片的だ。
その後の職場でも、あの組織の女性上司から、いろいろ言われた。{あなたと私は黒い糸で結ばれている。とか、一生面倒みる、とか・・。}当時は、何を言われているのか分からなかった。
妻もいた。
・・・家庭は崩壊した。
記憶を取り戻したのは、崩壊後、1995年 5月だった。
私は戦い始めた。
SGI はあらゆる手段を用いる。
くの一も。
でも、所詮・・・闇の力
<事件 2 その後>
1995、再度、創価学会に集中的にモルモットにされていた時・・・。
創価に、寄ってたかって{マロとかチンとか言ってみろ!}と言われた。
私がウメボシと言われる者だからだ。
私は生き証人だ。
私は、キリスト教徒だからあまり気にしない。
むしろ、上手な仕事を考える。
<事件 3>
あれは、カナダで働いていた時の事。
1997より。
どの職場にも、日本人スタッフに、創価学会員・SGI がいた。
常に流言蜚語・陰口に苦しめられた。
カナダ市民も洗脳していくカルトの策略。
虜になるべき者が虜になるのか!?
私は、証しを蓄積していった。
証しの手紙を、各方面に大量に送付して後、2001年 帰国した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、誰が何を信じようが自由だと思います。
人の人生を壊すカルトでさえ無ければ!
自分の信じるものを堂々と名乗って、皆と協調して生きて行くのが国際社会。
そのはずです。
憎しみは憎しみしか生まない。
自分にすら勝てない。
まして、悪に勝つは不可能。
自分を見つめて、勝利を経験した者はわかります。
相手の為に、愛を学びつつ・努力する者を真理は見捨てないと思います。
社会もそうであってもらいたいし、そうなるべく私は私で・・・。
人はいずれ死にます。
悔いを残したくないものです。
////////////
///////////
自分の親と同様、日本人を辞める事が将来あっても、この問題は主にあって考えていきます。
今の父方の親は、アメリカ人ですし、その方面からも日本に働きかけます。
私は、不幸な者を無くしたい。
自分の体験を、前向きに、殺されるまでも・・・証し続けます。
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