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(続) 大石寺の歴史
75
:
志楽
:2002/05/03(金) 09:56
14.25世代、33世代には宗旨建立の御報恩日及び立宗報恩御講が行われていた記録もあるとのこと。日道上人もはたまた日興上人も3月、4月の宗旨建立がおわかりであったと文面から推察されますが、ではなぜ往時において二つの行事が行われていたのか、いないのか、そのあたりも御発言があってしかるべきではないかと思います。いかがでしょうか。
15.これはやや観点が異なりますが、59世日亨上人の年表にはこの記述がないのはどうでしょうか。確かに富士年表には内証宣旨が記載されていますが、これはのちに作成されたものですね。過ちをはばかるなかれと言いますからその点はよいとしても日亨上人は富士宗学全集百何十巻を編纂された方ですのでこのあたりの事情はおわかりになっていたと思うのですが。わたしは3月28日説をやみくもに荒唐無稽だとは必ずしも思いません。しかしこれは一宗門の問題ですむ事柄ではありませんので、主張されるのであれば少なくとも「三四会合抄」を天下に公表することが良心的ではないかと思います。そして3月28日説がなぜ発生したのか、また推測ではなくどこでなされたのか等についても考証を十分にいたされてほしいと思います。
16.真偽は定かではありませんが、ある説では立教開示は清澄寺山上ではなく、山をおりた里坊で里人をまねいて行われたのではないかとみる考えもある由です。また、持仏堂についても領家の持仏坊であり里にあったという考えもあるようです。当時清澄寺は女人禁制ではないでしょうか。これはわかりませんがかりに女人禁制であれば、父母のうち母、あるいは領家の尼などのかたがたは説法の席につらなることはできたでしょうか(このへんはよ
くわかりません)。また、南面にして説法されたとありますが、なぜ正面ではなかつたのでしょうか。
17.正宗では3月、4月二説を言いますが、日蓮宗他門流ではこのあたりはどうなのでしょうか。このような伝承は正宗だけが知っているはずはないはずです。当時のお弟子方等は少なからず蓮祖からお話を聞いていたはずであり、正宗に残っているのですからいわんや他門流でも残っているはずです。
以上愚見・偏見をかえりみず書きましたが是非とも正宗のみならず批正していただければと思います。まちがいがあればすみやかに訂正いたします。
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